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共病記(8)〜医者が患者になった時〜:5つの不 その④不自由

椎骨動脈の解離が判明してからは、次のMRアンギオで病状の安定が確認できるまで、ベッド上安静となりました。と言うよりそうならざるを得ませんでした。まず、例の高速ランダムめまいのおかげで、頭を1センチも上げることすらできず、また視野の真ん中より左側に首を向けることすらできなくなりました。起き上がることも、寝返りすることもできません。また少しの体の動きでも、動き具合によっては吐き気が襲ってきて、ときに実際に嘔吐する、吐く物がないので激しく嗚咽を数回する、という苦行を強いられました。

この吐き気のおかげで、食べ物のにおいが受付られなくなり、まる5日間絶食を余儀なくされました。水分は点滴と、吸飲みで水をすする程度です。一応テレビが使えましたが、若干首を起こす必要があり、何よりニュースも含めて世の中の出来事、動き自体についていくことが億劫になり、というかついていくのにも疲れてしまうため、テレビも見ませんでした。

唯一、iPadが友達でしたが、これとて検索語ひとつを入れるのにも労力が必要で、休み休み数分、医療系サイトを眺めては20分30分休む、というようなことを繰り返しました。

もちろんですがお風呂など到底入れません。看護師さんに体をタオルで清拭してもらうのです。夏でしたが、熱いくらいになったタオルで手指からつま先に至るまで丹念に拭いてもらいました。受け身の側になってはじめてわかったのですが(お恥ずかしい限り)、清拭にもきちんとした規則性があって、上下肢は手足の先から中枢に向かって、胸部は肋骨にそって、腹部は腸の方向に沿い、わきの方は縦に拭くのです。看護師さんは、それはもう文字通り「手慣れた」所作で持って、瞬くうちに全身を拭きあげてしまうのです。この所作にも感心しました。入院して数日ぶりに体を拭いていただいた時には、めまいと闘いながらも一皮むけた気分になりました。

しかし、なんといってもベッド上安静の身にとっての最大の難問がありました。前にも書いたように、言うまでもなく「排泄」です。入院後3日までは尿瓶で排尿は苦もなく出来ていました。ところが椎骨動脈が解離していると主治医の先生から告げられたその日から、体をどの方向に傾けても尿が膀胱から出てくれなくなったのです。先生からは多少の力みは許可されていましたし、これまではそれほど力まなくても自然に流出されたのです。ところが同じ腹圧をかけているつもりでも、尿道の下の方で停滞している感じで外に出てくれません。

こうなると大問題です。尿意が非常に脅威となります。一度ほんとに少しの量を2〜3回に分けて出したのですが、それ以来できなくなり、尿意が怖いため水分をとることも怖くなりました。でも点滴をしていますので、否応なしに膀胱は充満てます。これはいかんともしがたい事態になりました。ようやくその日の夕方、看護師さんが回診に来た時、意を決して「尿道カテーテルをお願いします」と申し出ました。

ほどなくして、神経内科の若い先生がいらして、難なく手技は終わりました。とは言え人生初めての挿入です。カテーテルが前立腺を通過するときの、違和感の二乗三乗くらいの字義通りの「違和感」。普段私たちが、外界のものに接触するときは、ほぼ大半が皮膚を通してです。帽子をかぶる、メガネを掛ける、服を着る、手袋をはめる、キーボードをうつ、パンツを履く、靴をはく、体をどこかにぶつける。。。そうした日常何気ない「接触」はほぼ皮膚がファーストコンタクトを受け持ちます。「粘膜」を介した接触などほとんどありません。

一方、病院の中で起こるからだとものとの接触にしめる「粘膜」の割合は多大です。歯の治療では歯肉、舌には舌圧子、耳鼻科では鼻や喉にふんだんに細い管を入れられます。採血では注射針が血管内皮に接触。胃カメラ、大腸カメラは言うまでもない。そんな中でも尿道は一番馴染みのない粘膜面かもしれません。本来接触する予定のない管腔臓器の内膜面に物体が触る動く。。こうした感覚は、近代医学が発達するまで私たち人類が経験したことのないものであって、もともと人間の触覚にプログラミングされていない、またはされてはいるがそんなに使うことを想定されていないためバックアップの効かない脆弱なものなのである、こんな感触は人類史のほんの数十年の間に強いられたという意味で、まさに「違和感」であるのだなあ。

などと悠長に人類史を概観している暇はありません。カテーテルが入ると尿意の脅威は消えたものの、今度は、尿道バルーンを入れられた人誰もが言う「いつも尿がしたい感じ」がやって来ました。なんとなく常に尿意を少しずつ感じ、特に体を動かすともぞもぞする。これまた別の「違和感」です。右側臥位を決め込んでまんじりともしないでいれば感じませんが、長い時間そうしているわけにも行きません。

さらに、もっと大変なことが待っていました。はい、排便ですね。え〜これは、、、とまた難行苦行の連続を書くことになりますが、食事しながら読む方もおられることも考え省略します(笑)。主治医からは下剤(マグラックス330mg朝晩2回)をすぐに処方されていましたが、入院後6日で初めてスッキリした時の爽快感は忘れられないものだったとだけ書いておきます。

初めての体験、つまり医療の受け手側としての体験の連続の中で感じたこと、それは人間というのはひととしてできる仕事とか生活を取り去られてしまったら、あとはただ、目が覚めて、食べて飲んで、出して、寝るだけの存在でしかないのだなあということです。その上に、病というものはその食べることも、出すことも、動くことも、起き上がることも、人間から奪っていく。人間としての基本的な自由までも奪っていく。

不自由。発症急性期の数日、命の根本で感じたのは、じつは不条理不確実不可能よりもまず先に「不自由」でした。これが4つ目の「不」です。

病気だから当たり前ですが、仕事ができない、家で風呂あがりのビール一杯なんてのも当然できないという社会生活、日常生活のレベルは言うまでもなく、摂食、排泄、清潔といった日常生活動作=ADLが奪われることの不自由。医療の出発点はまずもって、病が奪ってしまう人間としての根源的な不自由にアプローチすることなのだなあ、と医療に携わって25年になるのに、受け手側になってみて初めてしみじみ「実感」しました。

でも、この不自由さも、病気の回復とともにだんだんに変化します。たとえば、左は向けず右を下にするしかなく、それでももっさり感がして絶望していたのですが、その後数ミリ単位で頭の位置や体の位置を動かしてみると、この角度なら一応めまいももっさり感も少なくて、かろうじて落ち着くという体勢を発見することができたのです。また尿道カテーテルの違和感も、だんだんに慣れてくるというのもありますが、この角度のこの姿勢を取らなければ変な違和感は来ないというポイントを見つけることができるのです。

当初感じる病に陥っての不自由さは、不条理で不確実で乗り越えることは不可能に思えることでも、何らかの形へ、このように試行錯誤のすえ「最適化」されていくものなのだろう。だんだんそう考えるようになり、現にできるようになる事自体が治癒というものかもしれないなあ。などと考えるようになりました。

この最適化に医療者がどう関われるか、このことについての考えが、今回受け手になってみてこれまでと大幅に変わったことですね。それについてはまた後日。

$$$ 大学病院前のどら焼き。お餅やバター、お芋などが入っていて超人気です。午前中で売り切れるそうです。このお店のビルができる前は、卓球部の練習の後必ず行った居酒屋があったのですねえ。なつかしい。
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by dobashinaika | 2014-12-23 23:30 | 医者が患者になった時 | Comments(0)

共病記(7)〜医者が患者になった時〜:5つの不 その③ 不可能

私のクリニックは8月13日から17日までお盆休みの予定だったのですが、その前の8月11日、12日はどうしても診療所を開けなくてはなりませんでした。急病による休診はソロプラクティスの最大の弱点です。明日からは、否応なしに患者さんが訪れます。これだけはなんとしても解決しなければならない問題でした。

結果的に、長期にわたって応援の医師を頼むことができ、そのことは入院生活の中でも最もありがたいことでした(そのことはまた後日書きます)。しかしこの時各方面に電話をしたり、メールを出したりする必要が生じました。ケータイの連絡先から電話番号を探し他人と話す、あるいはメールアドレスを探して、タッチパネルに言葉を入力する、そうしたコミュニケーションのためのひとつひとつの動作所作で、大変な苦しみが伴いました。

これまで再三記述したような「高速ランダムめまい」や「後頭部からお腹にかけてのもっさり感」と言葉で表現すればできなくもありませんが、言葉にした瞬間に、今の自分の苦痛を言い表すことの嘘くささというか違和感を感じます。まずこのもっさりした感じが果たして体のどの部分に由来するものなのか説明することは難問です。

小脳への血栓により脳細胞が壊死したことが根本の原因であることは医学的に理解できますが、苦痛の範囲は後頭部にとどまらず、背中全体からみぞおちの当りに回りこんで来ていたます。また時には腰の方に重苦しい物を感じます。さらにたとえば枕元のものを取ろうとした時や、ちょっと足を組み替える動作をすると、その所作のいちいちがもっさり感を助長するのです。いや助長するというより、物を取ろうと触った途端にもっさり感が手先指先から、撮ろうとする物体にまで広がって、からだの外にあるものまでもがもっさりするような感覚なのです。

この「境界線のない苦痛感」とでも言ったものは、電話をした時に一番感じました。だれでも自分のことを他人に話すときは、今の自分の症状や今後の見通しを伝えるため、それらのことを客観的な視線から話すようにすると思うのですが、その話している自分そのものが、強烈なもっさり感と言うか苦痛を持ちながら話しているのです。いつもなら、今こんな症状だから見通しはこれこれだろうと、自分自身を一歩引いて語ることなど容易だと思うのですが、このときはそう語っている当の自分がすでに苦しい。苦しんでいる自分とそれを見ている自分を分けることができないのです。そしてその苦しんでいる自分のからだは、どこからどこまでが苦しいのか、明確に境界線をひくことができないのです。だから、今これこれこういう感じがしてとても苦しいのだと他人に説明すること自体、およそ経験したことのないようなよそよそしさというか、嘘くささを感じたのです。そんなんじゃないだろうと。

今苦しんでいる物理的なからだと、それを感じ分析するこころとを区別することができない、その双方が一体となった感覚であり、私そのものが苦痛であるような感覚です。これこそまさに身体というべきものなのだということに気がつきました。

そしてこの身体の苦痛の質感とかひろがりとかは、決して医学的な、病態生理学的な言葉で説明することはできないということも感じました。いかに今現在、動脈の内幕と中膜の間に亀裂が入ってその間に血液の塊が生じ、それが平行感覚を司る小脳を養う血管に飛んだために、脳細胞の一部が壊死して小脳の機能が失われた。。。と説明してもですね、その科学の言葉が、この苦痛感の全てを説明してはくれないわけです。というより誰もが理解できるような科学の言葉を尽くせば尽くすほど、今の自分のこの「感じ」そのものを説明することはできず、ギャップが開いてしまう、いわゆる「説明ギャップ」を身をもって体験することになったのです。

このギャップの発見は恐ろしいです。誰にも今の自分の苦痛の独特な感じを伝えることができないし、誰にも理解できそうにもない。言葉で記述できないということは、自分の苦痛がその場その場で顔を変えながらそのひとに立ち上がる、唯一無二ものであり、本来他との比較を拒むものであるということです。そうですね。突き詰めると私の苦痛を説明することは不可能であるということです。これが3つ目の「不」です。

これまでみてきた2つの「不」、不条理も不確実も、そのより源泉にはこのだれにも説明することができないという「不可能性」があるように思われます。

このままだと絶望的になります。でも実際はそんなに絶望の淵でもがいていたわけではありませんでした。共病記(3)で述べましたように意識の上澄みに奇妙な楽観みたいなものがあったのです。そしてそうした不可能性や絶望から出発して、不条理性や不確実性を飼いならしていくことは十分に可能だということもこのあと体験することになります。なんでかというとこうした「不〜」は、時間とともにダイナミックに変化していくものだからです。身体の回復とともにいろいろなことが変化します。その変化そのものこそが病気というものかもしれません。

どんな具合に変化していくのか、これが一番伝えたいことですが、また後日。

###「ちん餅」の張り紙で初めて意味を知りました。電子レンジでチンしたお餅ではないようですね^^料金をとってお餅をつくことで「賃餅」だそうです。
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by dobashinaika | 2014-12-14 18:13 | 医者が患者になった時 | Comments(0)

共病記(6)〜医者が患者になった時〜:5つの不 その② 不確実

8月11日の月曜日に脳外科と神経内科の混合病棟に移ったのですが、この病棟は昨日までの耳鼻科病棟とは違い、手術や急性期の患者さんが多いせいか
全体の雰囲気がキビキビしているというか、やや張り詰めた空気が漂っていました。別室からは脳の病気のためか、ときおり患者さんの声が大きく響くようでした。窓からの風景も昨日までは遠くの海の方まで見えそうでしたが、今日からは隣の研修医宿舎が見える、そんな環境でした。

そうした空気の中で、寝返りをうつこともできず、この日の夜はiPadを読みまくっていました。
共病記(4)で示した脳の写真にも見えていますが、私の右の解離した椎骨動脈は、一部動脈瘤のように見えなくもない像が写っていました。もしこれが瘤で、破裂したら生命の危機が訪れることになります。また細くなった動脈が見えていますが、もしこの細い部分がほんの数センチ上の脳幹の領域にまで進んでいったら、呼吸停止など非常に重篤な症状をきたすことが予想されます。

この血管がここ数日のうちにどうなってしまうのか。いろんな論文を読みあさってみましたが、例えばこの論文では、私と同じ未破裂の解離の方191人のうち、血管内治療(カテーテル)が24%で行われ、出血した人はゼロ、脳梗塞を起こした102人のうち92人は経過良好、10人が不良で4人が亡くなったとあります。
http://www.neurology.org/content/76/20/1735.short

その他の報告も、全体としては良好な経過をたどることが多いと記されています。でも、そうした記載は、ぜんぜんこの時はしっくり来ないのです。だって、このような何%という数字は、言うまでもなく私ではなく他の人の集団のデータですから。今の自分のこの血管のこの状態で、この血圧と血液検査データであれば、ここ数日動脈瘤からの出血や脳梗塞の進行が起きる確率がどのくらいかについては、どこにも書いていないわけですね。要するに、確率はある程度わかるかもしれませんが、一番知りたい自分が近い将来どうなってしまうのかについては誰も答えることができないという、当たり前のことを身を持って実感するのです。

たとえば、そうですね、いつも思い出すのですが、映画「エイリアン」2か3でシガニー・ウィーバーの脳の中にエイリアンの子供が鮮明に認められる場面が出てきますが、ああいう超高性能超高解像度でかつ何ら副作用のない画像診断装置であるとか、または解離した血管の解離サイズ、血管内皮の脆弱性、血流速度、粘度、凝固能等々のそれこそ様々なパラメーター、解離に伴う炎症物質や修復反応の度合いなどあらゆる因子を正確に測定する生化学測定装置が開発され、それらにもとづいて解離した血管が今後どのような状態になっていくのかを極めて精緻に予測できる理論モデルが構築されたりすれば、今よりもっと正確に、予後(これからどうなるか)を予測できるようになるかもしれません。しかしながら、現在そうしたテクノロジーもセオリーもありません。

でも、一方でそんな思考実験をするまでもなく、いくら科学やテクノロジーが極限にまで発達しても、それでも未来を予知することが無理であるのは、ちょっとした哲学入門書を読めばくわしく導いてくれます。帰納法の限界だとか、不確定性原理だとか、複雑系だとか。。。そもそも原理的に、未来を予測することはできないということは、頭の体操的に、または他人ごとのようにまあそんなもんだろうと捉えていました。

しかし、命に向き合うような状況に自分が陥った場合、このことは非常に恐ろしい顔を持って、私たちに命の根源を突きつけてくるわけです。フランク・ナイトという経済学者は、統計的に確率が知られているものを「リスク」、確率さえ知られていないものを「不確実性」と読んで区別しました。この定義に従えば、椎骨動脈解離がこの先脳動脈瘤となって出血することは「リスク」に分類されるかもしれません。しかし、一人しかいない目の前のひと(今回は自分自身なわけですが)が今後どうなるかは、どんな事柄であっても確率さえ求めることはできない、そういう意味では、当事者にとってはどんな状況であっても、未来の自分は不確実であるかもしれません。

これが2つ目の「不」です。病気した本人にすれば、この不確実は前回の不条理と表裏一体のように思われます。だって自分が今このような命が脅かされるような状況になぜ置かれているのか、そのあらゆる要因をリストアップされて、これこれこういうわけだから、だからあんたは今こうなっているんだよということが説明できない(説明されても信用しないけど)以上、同じように未来に自分がどのような経過をたどることなどわかることはできない。当事者にとっては不条理と不確実は同じことの過去と未来の裏返しであるような気がしてくるのです。

荒木飛呂彦の名作「JoJoの奇妙な冒険」には様々な超能力を持ったスタンドが登場しますが、全未来を正確に予測できるスタンドはこれまで登場していないと思いました(注)。その理由も今回わかりました。原理的に無理だし、もしこの能力を持ったスタンドを登場させたら、最強すぎてストーリーが展開できないからだと思うのです。

2011年の3月14日にツイッターで「ラプラスの悪魔なんていなかったんだ」とつぶやいたのを思い出します。ラプラスの悪魔とはすべてを知っており、未来も予見している知性のことを言うのですが、未曾有の大地震、大事故で全てが想定外だった当時の仙台で味わった不確実な追い立てられるような感覚。今回これによく似た感覚だったようにも思いますが、一方で、あの時とは根本的に違う何か救いのようなものも感じていました。「ラプラスの小悪魔」くらいはそばにいるのではないか、と思っていました。

それについてはまた後日。

$$$ この辺り猫ちゃんが多いのです。こうした張り紙もあります。
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(注)オインゴボインゴ兄弟とキングクリムゾンが近いですが、遠くの未来までの正確な予知ではないと思いました;マニアックですみません^^
by dobashinaika | 2014-12-14 17:44 | 医者が患者になった時 | Comments(0)

共病記(5)〜医者が患者になった時〜:5つの不 その① 不条理

自分の病名が分かったあと、すぐさましたことは、やはりネットでした。
家にあったiPadを持ってきていたので、まず医療情報サイト「UpToDate」にアクセスし、日本語で「椎骨動脈解離」と入れますと、ほんの数秒でこの病気の病因、診断、症状、治療、予後(今後どうなるのか)の情報をすぐ見ることができます。こういうときiPadは助かります。キーボード入力はおそらく体勢を起こさなければならず、またこの時は突起したボタンを押すこと自体が苦痛だったのですが、タッチパネルはその点、右側だけしか向けない身には楽であり、操作も触るだけなので、ありがたい限りでした。

まず、真っ先に"prognosis(予後)" が気になりました。自分はこれからどのようになってしまうのだろう?明日からの仕事のことをすぐにでもどうにかしなければならない状況にあって、一番それが知りたいことでした。そこには「予後は初期の脳卒中やくも膜下出血の重症度に依存する」「血管が修復されるのは最初の1ヶ月間」「頭蓋内脳動脈解離のクモ膜下出血発症例では高率に再破裂するため、外科的治療が必要」などと書かれていました。主治医の先生の言葉通り、やはりここ数日以内に最初の大きな脳梗塞またはくも膜下出血をきたすかどうかが今後を大きく左右するということがわかります。

次にどうしても知りたかったことは「原因」でした。"Etiology(=病因)"を見ると、「ほとんどは自発的に(原因なしに)または小さな外傷から起こる」「首を過度に動かす運動が引き金になることもある」などと書かれています。また生まれつきの血管組織の異常、遺伝的な原因なども詳細に記載されています。ゴルフとかダンス、マサージなどが引き金になるという報告もあります。

一応医者ですので、こうした記述を見れば疾患としての概略はわかります。でもいくらこうした医学的記述を呼んでも全然しっくり来ない、というか納得がいかないのです。それは、以前から感じている「高速ランダムめまい」や「後頭部からお腹にかけてのもっさり感」が強くなるに連れ、また入院時間が経過してそれらとの付き合いが長くなるに連れより強く感じられるようになりました。

たしかに、右椎骨動脈の壁が裂けてその裂け目に血液の塊ができ、それが平衡感覚を司る小脳に飛んだから高速ランダムめまいが生じいているのだろう、とか、血管が裂け脳細胞が壊死しめためその場所から様々な炎症性物質とそこを修復しようとする防御反応がそれはめまぐるしいきおいで生じているため、こうしたもっさり感が起こるのだろうくらいは説明することはできます。

でも、それは今の自分の身体の状態が「どのようになっているのか」という現状分析でしかありません。「なぜ、今という今、この時に、この場所で、このような苦しい思いをしなければならなくなったのか」「なぜ、ほかでもない、この自分がこんな苦しみを感じ、仕事もできないのっぴきならない状況に陥ってしまったのか」そうした問に対しては、いくら医学的記述を詳しく読んでも、説明していくれません。もちろん、医学的記述は、過去のデータを元に客観的な情報として書かれていますので、そんな個別的な問に答えてくれることは期待できないわけです。でも、それでも、問いたいのです。なぜ「この感じ」なのかと。なぜ「この自分」なのかと。

そしてそこから原因探しの旅が始まるのです。発病の1週間前くらいから、「自分がどこで何をしたのか」「あの時あそこに行かなければこうならなかったのではないのか」「最近毎日のように診療が終わってからも仕事で出かけていったからではないのか?」はては「2〜3週間前に血圧の薬を1日のみ忘れたことが関係しているのではないか」といった瑣末な事まで、原因に結びつけて考えようとしてしまうのです。

さらに、「あの時無理をしたのはこう考えたからだ」「あの時急に椅子から立ち上がってしまったからこうなってしまったのだ」「もっと水分を取っていればこんなことにならなかったのだ」というように、医学的に見るとあまり因果関係がはっきりしないことまで、原因として考えてしまうのです。原因探しの旅から自責と後悔の旅へとめまぐるしい葛藤が始まります。

そしてさらに、「これまで血圧の薬はしっかり飲んで毎日血圧を測って、アルコールは飲み過ぎないようにして、あれだけ気をつけてきたのに、なんでこうならなきゃならないんだ」「首を動かすようなことなんかしていないのに」というどこにぶつけていいかわからない怒りのような、また今にして思うと医者とは思えないような幼稚な攻撃性のような感情も随時これに加わり、まさに葛藤の連鎖状態となるのです。(もちろんずっとそう考えているわけでなくて、押し寄せては消える感じでですが、、)

言うまでもなく、どんな病気でもそうですが、血管が解離する場合も原因は複雑です。原理的に言うと血管の壁そのもののの強さ、血流の力のかかり具合、血圧そのもの、血液の成分、外からの刺激などが解離に関係しそうですが、ストレスだとか、食べ物だとか言い出すともう無数の因子が複雑にからみ合って病気を成立させているとしか言えません。

医者としてはその程度の因果の特定困難は理解しているつもりですが、でも今ある苦しいという感覚と、社会的に置かれている危機的状況の両方を考えた場合、なんでこうなったのかとにかく原因を特定して納得しておきたい衝動に非常に強く駆られるのです。おそらく医院に通院される患者さんもみなそうなんだろうなあ、ということも思いました。事実、どうして病気になったのかを尋ねられる方は非常に多いのです。私たちは病気の原因を探さずに入られない存在、原因探しの病という新たな病に陥りやすい存在なのかもしれません。

でもそう考える次の瞬間、この苦しい感じの自分を自覚すると、絶望感が襲ってきます。この今の苦しい感じは、いくら原因を突き止めようとしても、医学の言葉で説明を求めても、なせ、今この自分の身にそれがあるのかを100%の満足度で持って納得することはできない。

これが「不条理」というものだと、このとき心底思ったのです。
そしてこの不条理は、それに続くもう一つの「不」の裏返しだと思えてきたのです。

ここまで考えると、医学医療の出番はあまり残されていないようにも思えてきますが、ところがそうではないということも、その後経験することになります。その辺のことともう一つの「不」についてはまたこの次に。

### 今回病気してみて5つの「不〜」ということを考えました。今回その1です。
仙台初雪でした。大崎八幡神社もこんなで張り詰めた空気感です。
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by dobashinaika | 2014-12-07 22:47 | 医者が患者になった時 | Comments(0)

共病記(4)〜医者が患者になった時〜:椎骨動脈解離

椎骨動脈とは、聞きなれない名前かと思いますが、人間の脳に行く血管(動脈)は、左右2本ずつ、計4本あります。そのうちの大脳の方に行くのが頸動脈であり、小脳及び脳幹に血液を送るのが椎骨動脈です。首の骨である頚椎の横にある横突孔という穴を通るのでこの名前がついています。

小脳は人間の平衡感覚や運動の調節を司っています。また脳幹は延髄、橋、中濃、間脳からなっていて、呼吸や自律神経の中枢や意識を支配する径路が存在し、生命の維持にとって極めて大切な場所です。

左右の椎骨動脈は、その後1本の脳底動脈となり、そのまた上の方で頸動脈からきた何本かの血管と合流します。
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                        (Wikipediaより)

私はベッドに寝たままで、主治医の先生が窓の方にかざしたMRアンギオの写真を見ていました。先生が指差すより0.何秒か前にすぐに右の椎骨動脈に目が行きました。右下の写真でわかるのですが、右の椎骨動脈が左に比べてとても細くなっていて非常に心もとない感じでした(矢印の部分)。
(左の写真については本ブログの下の方で解説しています)
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動脈というのはバームクーヘンを思い出していただければいいのですが、丸い筒の壁が3つの層に分かれています。そこの一番内側の内膜と真ん中の中膜との間に裂け目ができて、縦方向に避けるのが動脈解離と言われるものです。動脈解離で有名なのは、心臓から体全体に行く大きな大動脈の壁が避ける大動脈解離で、最近では私の敬愛する歌手、プロデューサーの大滝詠一さんが亡くなられた際の病気として報道されました。

私の場合は、大動脈ではなく脳に行く椎骨動脈の壁が避けたのです。原因については後に書きたいと思っていますが、首を急に動かした時に発症する場合もありますが、はっきりした誘因がないことも多く、20代や40代の若い人に多いそうです。

昔から音楽とか、絵が好きで、たとえばそうですね、カルロス・クライバーという今は亡き天才指揮者のCDであるとか、あとは伊藤若冲の鶏の絵とか、何回聴いても、何回見ても背筋にゾゾッとしたいわゆる鳥肌が立つ感じを覚えるのですが、自分の脳に行く血管が狭くなっている写真を見た瞬間は、同じゾゾッとした感じでもこれまで経験したことのないようなものでした。下半身の前立腺のあたりから沸き起こる、なにか命の存在自体が脅かされるような、急き立てられるような、そういうような感覚を伴っての鳥肌でした。あと数センチ上にまで解離が進行したら脳幹に到達しますが、それは生命の危機を意味します。また経過の過程で血管に動脈瘤(コブ)ができると破裂の可能性があり、これまた非常に危険ですので、カテーテル治療が必要なこともあります。

ところが、そうした体の底から沸き上がる危機感みたいなものも確かにあったのですが、妙なおちつきというか、安堵感というものも混在していました。左の椎骨動脈が大変しっかり映っていたからかもしれません。あるいは、今のところ脳幹までに至る症状が全然出ていなかったからかもしれません。先生の説明が非常に落ち着いた口調だったからかもしれません。はたまた、自分は絶対大丈夫だという、どこからかの声のためかもしれません。以前医学系のサイトで「椎骨動脈解離の予後は良好」というのだけうっすら覚えていたからかもしれません。

とにかく、ここまで来たらなるようにしかならないのだから、全てを受け入れるしかないなと思ったのです。それも不思議なのですが、すごく真剣にもう本当に悟りを開くような、あるいは不退転の決意でそう思ったのでは全然ないのです。意識の上澄みの部分で、何となくまあ大丈夫だろうといった軽い楽観が、意識全体を薄いベールで覆ったような、医者としての頭のなかではもっと解離が進んだ場合のことや、逆に脳動脈瘤ができてしまってそこが出血した場合の深刻さも十分知っているとは自覚しつつも、それが深刻に感じられない何か説明できない浮遊したような感じに包まれたのです。

もちろん主治医の先生からはその後、家人にここ2,3日の間に生命の危機が及ぶことの可能性につき詳しく説明されたようです(後の家人からの話によると)。ですが、説明を受けてからも家人は何事もなかったように、それこそ明日雨でも降るのとの同じことのように受け止めているように、私には見えたこともおちついていられた原因かもしれません。

ただその日、先生方は、その科の他の先生も含め何回も診察に来られ、しゃっくりは出ないか、物が二重に見えてこないか、呼吸が苦しくないかといった、脳幹部領域の症状をその都度聞かれました。今にして思えば、これらの質問、実は非常に怖い質問なのです。

部屋は、ナースステーションに近い個室でした。しかしそこは、トイレと洗面所はあるものの、冷蔵庫、ソファといったいわゆる個室に見られる調度品は一切なく、代わりに天井の下の真ん中に監視カメラか備えられた重症病床でした。左手人差し指には酸素飽和度測定のためのパルスオキシメーター、胸には心電図モニター、枕元には精密持続点滴のための輸液ポンプが置かれ、非常に物々しい体制になりました。

そしてすぐさま、2つの大きな難題があることに、むしろそちらの方に恐ろしさというか壁のようなものがあることに程なく気が付きました。ひとつは明日からの自分の診療所の診療をどうするかということです。これは、待ったなしの切実な問題でした。

もう一つは、これまた何回も出てくる問題で大変恐縮ですが、排泄の問題です。それまで排尿はベッドの上でちょっと体を傾ければ難なく出来たのですが、診断名を聞いたあとからパタッとできなくなってしまったのです。尿意は強くあるのですが、思い切りお腹に力を入れることができないのです。おそらく気張ることによりあの血管がまたどうにかなるのではという深層心理のためだったのかもしれないですが。。

とにかくその2つの難題と、そしてもう一つ、この血管の解離の理屈が頭で分かったとして、それといまあるこの後頭部からおなかににかけてのもっさり感はどう関係するのか、その間に横たわるギャップみたいなものを深く考えるようになったのです。

なお上の左の写真はBPAS画像という血管の走行を影絵のように映す方法(山形で開発されたとのとです)で、血管の外径(外側の輪郭)がわかります。一方右側はMRアンジオグラフィ(血管画像)で狭くなった血管の内側(内径)を表しています。その差が血管の壁が解離してできたいわゆる偽腔という、壁が避けたためにできた本来の血管ではない部分と考えられます。今回急にめまいが襲ったのは、この偽腔に起きた血液の固まり(血栓)が小脳に飛んだ(塞栓)からだと思われます。普段から心房細動の脳塞栓のことばかり書いたりして、この病気にはいわば身体の一部のごとく親近感を持っていましたが、よもや自分自身の身体に塞栓症が起こるとは。。。

###ヘビーな話になってきたので、今朝家の近くに行商に来た八百屋さんで買った大根とキャベツです。何とどちらも100円!
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by dobashinaika | 2014-11-30 21:31 | 医者が患者になった時 | Comments(0)

共病記(3)〜医者が患者になった時〜

入院2日目。

前の日の夜は、疲れと、明日になれば治るだろうという期待感の中で転がり落ちるように眠りにつきましたが、翌朝6時には燦々と降り注ぐ陽の光と、頭痛とで否応なく目が冷めました。

目を開けた瞬間、あ、ダメだと思いました。左に顔を1センチでも向けようとすると、昨日ほどではありませんが、ランダム高速風景移動がまた襲って来ました。後頭部にこれまで感じたことのない、なんとも言えないぐったりした重苦しさが居座っていることにもすぐ気が付きました。無性にのどが渇き、水は水のみでかろうじて飲めましたが、食事は到底とれそうにありませんでした。

そのうち耳鼻科の日直の先生がお見えになり、フレンツェル眼鏡という外から見ると目が拡大して見えるメガネを私の顔にかけられ、寝たままで正面、左右と首を向けての目の動きを検査されました。最初は座って行おうとしたのですが、吐き気が酷いため、寝たままだけで行いました。左への注視はほとんど不可能なのでほんの数秒しかできませんでしたが、それでも先生は「特定の方向への眼振はありません」とおっしゃいました。

眼振とは、自分の意志とは関係なく眼球が動く現象で、電車に乗っている時に外を見るとだれにでも起きるものです。もし脳の病気でなく、耳の奥の平衡感覚を司る三半規管の障害ですと、一定の方向への眼振が見られると覚えていたので、先生の言葉はとても意外でした。

めまいには、まず脳の疾患からくる中枢性と、主に内耳(耳の奥)からくる末梢性のものに分けられ、脳由来の可能性はうっすら考えましたが、まず違うから(この時点では本当にそう考えていました)末梢性で、ちょっと経過が長いのでいわゆる前庭神経炎かな、くらいに考えていました。

程なくして、神経内科の日直の先生がお見えになりました。ひと通り、身体全体を非常に丁寧に診察されたあと、MRIとMRアンギオを見たところ、小脳にやや気になるところがあるので、明日もう一度MRIを撮る、それまではくれぐれも安静にとおっしゃいました。

にわかに、暗雲が立ち込めました。それでなくても同業者であり、またやはり現に厳然と「具合の悪さ」を実感している身としては医師の言葉の端々からの微妙なニュアンスには非常に敏感になります。

ただ、こころに暗雲は立ち込めはしましたが、先生の診察のあとは不思議と気分は落ち着いたものを感じたのも事実です。多分その源は、診ていただいた先生の「全体の印象」だと思います。もちろん患者ですので、診察と脳の写真の内容や診断は、非常に気になりますし、その内容いかんでは動揺したり、不安におちいることもあるでしょうが、そうした病気そのものに対する不安や懸念にも影響をあたえるのが、お医者さんに抱く「印象」というか、「信頼感」というものかもしれない。。その時の感情を今にして思い返してみるとそういうことかもしれません。

医師は、患者のからだを見て、聴いて、触って、患者のからだの内部の写真を見て、医師としての頭で判断したことを患者に話しかけます。その一つ一つの所作であるとか、話し方のトーンだとか、ことばの使い方などが患者に伝播するのですね。いわゆる非言語コミュニケーションというのでしょうか、そうした「存在」そのものが患者の不安な心に大きな影響をあたえるのだと思います。一言で言うと、「この先生なら」と思えるかどうか。

日頃、診察をするときにはできるだけ患者さんの言葉に丁寧に耳を傾けて、わかりやすい説明をしよう云々って、医師であればだれでも考えるとは思いますが、そうしたいわば「よく接しよう」という心がけや技術だけからは生まれないなにものかが、医師から患者に伝播するかどうかで信頼感を感じるかどうかが決まるのだなあ、とこの時患者の立場になってはじめて実感しました。

「医者をすること」、つまり病気に対する診断や治療技術などの医師という職業としての能力は、もちろん第一に大事で、これがおぼつかないことにはお医者さんを信頼することはできません(ただしその技術が的確かどうかの根拠を患者は入手にくいわけですが)。しかしながらもうひとつの要素、つまり「医師であること」あるいは「一人の人間であること」も医師への信頼感の重要な源泉なんですね。これ今考えていて非常にまずい(ヤバいはもう使わないように笑)と思っています。それって努力しても得られるものではないだろうからです。

その日は夜まで症状の改善はありませんでした。とにかく明日のMRI次第だ。そう念じて眠りにつきました。

翌日は日曜日でしたが、それはもうひたすら眠りました。この歳になってこれだけの時間、こんこんと眠れるのだろうかと思うくらい寝ました。朝6時に起きて、ベッドの上で排泄をして、また8時にはねて12時にうっすら目を開けて、また眠りにつく。。そんな感じでした。ただやっぱり左方向にな絶対に向くことができません。それにもまして後頭部から背中あたりをつたわりおへその当りに回りこむような、絶望的な重苦しさがだんだん頭をもたけてきました。
「なんでよりにもよって、この自分がこうなってしまったのだろう」
このころからそうした思いが、大変強くあたまのなかでリフレインするようになっていました。

そして入院4日目、そのリフレインはさらに大音量で頭を駆け無ぐる事になりました。
翌朝、吐き気はようやくおさまっていましたが、例の高速風景移動と後頭部からおへそまでのもっさり感はそのままでした。午前10時からMRIでしたので、ストレッチャー(移動式ベッド)に何人もの看護師さんにかかえられて移動。その後別棟まで搬送されて、またMRIの検査台への移動。そして15分間の検査時間。吐き気はおさまったもののいつか吐くんじゃないかとそればかり気になりました。この時点ではまだMRIひとつ撮影するのも大変な苦行だったんですね。

病室に戻ってきて、15分も経たないうちに受け持ちの看護師さんがやってきてました。「病棟を移ることになったので用意します」。それからあまり時間がたたないうちに、先生がみえられました。「右の椎骨動脈が解離していました
。神経内科の病棟に移ることになります」。

「大病だ・・」おもわずつぶやきました。

### 以前の共病記はこちらです。
共病記(2)〜医者が病気になった時〜
共病記(1)〜医者が患者になった時〜

$$$ 柿の実ももう終わりですね。実がもう2つしかなくて朽ちていく、西行や本居宣長ならずとも、散歩するだけでもののあはれを知ることができるわけです。
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もののあはれとは何の関係もありませんが、散歩生活をより充実させるため全天候型のウォーキングシューズをついに買ってしまいました。これでますます朝が来るのが待ち遠しくなります。
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by dobashinaika | 2014-11-17 22:33 | 医者が患者になった時 | Comments(0)

共病記(2)〜医者が患者になった時〜

共病記=医者が患者になった時(入院したので「患者になった時」にしました)の続きです。
前回はこちらです。
http://dobashin.exblog.jp/20303802/


救急隊の方が、私の体を瞬く間に担架に乗せ、救急車まで運びました。この間不思議にあまりめまいは感じなかったように思います。それより、目をつぶり、息を潜ませて担架で運ばれると、不思議に「空気の匂い」「温度」に非常に敏感になることに気が付きました。部屋から廊下に出た瞬間のむっとした夏の夜の空気と、建材の鼻に付く化学臭。外に出た時の頬に差す小雨と土の匂い、救急車の中の薬品や医療機器の匂い、それらひとつひとつにそれまで全く意識しなかったような匂いや感触を覚えました。異様に敏感になった臭覚、触覚でもって脳に直接伝わるかんじでした。

でも、救急車の中は地獄でした。それほど揺れてはいなったのでしょうが、ちょっとした段差や左右の横揺れが、ひどいめまいと吐き気を誘いました。おそらく10回は嘔吐したと思います。最後は吐くものがなくなりましたが、本来上から下に行くべきものが、急激に逆流することの苦痛をひさしぶりにいやというほど味わいました。経験したことのある人は多いと思いますが、これでもかと押し寄せる吐き気の苦痛は言葉では表現できません。苦行です。

早く着いてくれ、その言葉だけを念じていました。実質的には10〜15分程度だったのでしょうが、1時間にも感じました。

ようやく、病院の救急外来に到着しました。ここは実は私も勤務したことのある病院で、うっすら目を開けると部屋のレイアウトに若干の見覚えはあるのですが、でも今日はこれまで全く来たことのない病院のように感じました。と言うより病院の部屋全体が現実感のないもの、妄想の中のもののように思えました。なんでここに自分がストレッチャーに乗りながら横たわっているのだろうという受け入れがたい現実のせいだったのかもしれません。

すぐに看護師さん、若い先生方数人が取り囲み、名前、生年月日、住所の確認、血圧測定、酸素飽和度測定、点滴差し替え等、滞りという言葉とは全く無縁の、ある意味機械的な処置が次々となされていきました。大変な状況にもかかわらず、その手際の良さにひどく感心しました。

そのうち若い先生がやってきて「神経所見を取らせていただきます」と、丁寧に声がけされたあと顔面、上肢、下肢、体幹の麻痺、温痛覚、触覚と順序通り丹念に診察されました。この間、ひとつの所見をとるたびに「〜をしますね」と声がけされました。いつも自分はこんなに丹念に患者さんに声がけしてたのか不安になりました。私が医師だったことも大きいと思いますが、患者になってみて、こうした丁寧な声がけがとても患者さんを安心させることを痛感しました。

心電図、ポータブル胸部X線、採血と進み、頭部CTとMRIを撮ることになったのですが、ここへ来てまた大問題、つまり強烈な尿意が限界に達していました。採血の段階になり、もう一寸たりとも動くと失禁しそうになりました。ただ、ベット上で排尿できるかものすごく不安で、また恥ずかしくもあったため、極力ひっぱっていたのですが、もうダメでした。尿意を告げるといかにも屈強な男性の看護師の方が尿瓶をあてがってくれました。そこで、乳児の時をのぞいては初めての臥位での排尿をしました。尿意がものすごく強かったためか、首尾よくおしっこが出て下腹部が楽になった時には本当にホッとしました。

CTはすぐにおわったのですが、検査台に移る時とストレッチャーに戻る時が、また大変な苦行です。いちいち嘔吐していたように記憶しています。MRIは別の棟にありスタンバイに時間がかかりましたが、同じように苦行しながら移動しました。

MRIは受けたことのある方も多いと思いますが、閉じられた空間で大きな音と振動を感じます。押し寄せるめまいと嘔気も相まってそれはひどく長く感じました。

その後、かなりの時間控室で待っていました。相変わらず正面より左を向くと、例の高速風景移動が起きます。点滴を受け、めまいの薬が入り終わっても全く症状は改善なしでした。「やっぱり脳かな」とおもっていたところ、内科当直の先生がいらっしゃり、CT,MRIの結果をお話されました。CTでは脳梗塞の像は認めない。MRIも大筋では大きな異常はない。ただし、ディフュージョン(MRIの拡散強調画像という撮影方法。脳梗塞の急性期に有用)で、小脳にわずかに変色しているようにみえるところがあるが、アーティファクト(人工的な雑音)のようにも見える。末梢性のめまい(脳由来でなく、耳の奥の平衡感覚のトラブル)の可能性が高いが、小脳のトラブルの可能性も否定できないので、入院の上安静が必要とのことでした。

人間とは、危機的状況の中で物事を自分の都合のいいように解釈します。それまで「小脳梗塞」かもしれない。。と漠然と考えてはいましたが、「末梢性の可能性」と言われた途端、ああもう大丈夫だという、なにか大きなものに包まれでもしたかのような安堵感に全身が支配されました。心房細動もないし、血圧は薬でかなり低かったし、他のリスク因子もないし。。。当直医の「小脳のトラブルの可能性。。」といったことなどほとんど頭に残っていなかったように思います。

そのまま耳鼻科の病棟に入院となりました。顔見知りの看護師さんが何人もいて、いつもならとても恥ずかしい感じだと思う状況ですが、それよりこの時点では安心感のほうが先でした。点滴のせいか、入室の頃には少しだけ吐き気も治まっていて、このまま落ち着けば2日くらいで帰れて月曜日からまた仕事だ。。そんなことまで考えました。

時計はすでに午前2時を回っていたかと思います。その晩は長い入院生活が始まることなど全く考えもせずに眠りにつきました。

### 本当は、もっと端折って書きたかったのですが、日記などを元に書いたら、細かなことも書かないでいられなくなってしまいました。もっともっと重大な疾患を経験している方もおられると思いますが、日頃患者を診る側の人間が、はじめて大きな疾患で患者の立場になった時の感想だと思って読んでいただければ幸いです。

休日の広瀬川遊歩道。ウォーキング、ジョギングする人であふれます。ジョギングは頭に響くのでまだ無理ですが、早歩きはかなり出来るようになりました。
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by dobashinaika | 2014-11-03 23:37 | 医者が患者になった時 | Comments(2)

共病記(1)〜医者が病気になった時〜

仙台七夕の最後の日、まだ夏の盛りで蒸し暑い夜でした。

午後8時頃、いつものように診療を終え、自分の部屋で明日までの紹介状を書き、その日の患者さんの振り返りを終えて、帰宅しようと立ち上がった瞬間でした。

突然、目の前の風景が、ものすごい速さで下に下がっては戻り、次は右にぎゅんと移動してはまた戻ると言うこれまで経験したことのないような感覚に襲われました。もとより、回転系の乗り物が苦手で、例えば遊園地のコーヒーカップに乗ると必ず目がぐるぐる回ってしまうので、幼稚園のとき以来絶対乗らないようにしていました。でもコーヒーカップの時は景色がどちらか一定の決まった方向に割とゆっくり回る感じで、休めばほどなくおさまりました。しかし今回の感じは全く違いました。

移動する方向がその都度全くと言っていいほどまちまちで、しかも大変な速さで動くのです。すぐに椅子の脇の床面に倒れました。目を開けるとあの超高速展開が襲ってくるので、当然目をつぶりましたが、目をつぶっても今度は深い闇の底に頭全体が落ち込むような感覚がやってきて、それは非常なる恐怖でした。

それと同時に猛烈な吐き気が襲ってきました。床に吐くわけにはいかないので、右脇にあるゴミ箱に吐こうとしましたが、数センチ頭を上げることもままなりません。ようやく力を振り絞って、ゴミ箱に顔を突っ込みましたが、嗚咽ばかりで吐くものが出てきません。そのうち全身の冷や汗と悪寒が激しく襲ってきました。

「ヤバイヤバイヤバイ」。実際心の中でそう叫びました。あるいは声に出ていたかもしれません。「ヤバイヤバい」とすぐ口につくのは、語彙がない証拠と何かに書いてありましたが、恥ずかしながらほんとにそのフレーズしか出てこなかったのだから仕方ありません(笑)。

しかしそれと同時にその当時話題になっていた、あるトピックな科学的スキャンダルで自死した医師のことが脳裏をかすめました。
「このままだとあの先生と同じあっちの世界に行ってしまうかもしれない」そのスキャンダルのテレビ映像などもまぎれこみながらそんなことが瞬時に頭をよぎりました。

びっくりしたのが、そのような激動とも言える襲来下にあっても、こういったある種の言葉のリフレインとか、ひとつの映像とかが鮮明に浮かび上がるということです。
これこそ無意識的領域と言うのかもしれません。

それから1分位して、ようやく医者としての思考回路が少し起動し始めました。全身発汗にめまい、吐き気だから、気温のせいもあり(そのときなぜかエアコンをつけていませんでした)熱中症をまず鑑別診断の第一候補、末梢性めまいを第2候補として考えました、一応専門の心房細動心原性脳塞栓だったらシャレにならないと思い(と言うより本能的にでしたが)自脈を取ったところ、整でした。熱中症だったら点滴をしなければならないとこの時点で思い立ち、家にいる家人(妻:元看護師)に電話をしようと携帯電話を探しましたが、机の上にあることは発見できたものの、起き上がって取り上げることができません。

頭をほんの数センチも上げると、例の多方向性ランダム高速風景移動が襲ってきます。でも、とにかく携帯をゲットしないことには何も始まりません。このときは本当の意味で、渾身の力を振り絞って、上半身だけ起き上がり、片目だけあけて机の縁から数センチに横たわる携帯を素早く右手で取り上げました。もちろんその直後、まさに地獄のようなあの高速移動が襲ってきました。

目をつぶってそれをやり過ごした後、どうにかスマホの「よく使う項目」から妻のところをタッチし、電話しました.後から聞くとまさに息も絶え絶えにヤバイ早く来てとか言っていたそうです(ここでも「ヤバイ」)。幸い家は歩いても近くなので、すぐに妻がやってきました。ドアを開けた瞬間声を上げていましたが、その直後には事の重大さを悟ったようで、診察室から血圧計と点滴セット一式を素早く持ってきてくれました。

そこでようやく血圧を測ったところ177/100mmHgだったのです。熱中症だと思っていた予測がかなり怪しくなり、又今まで経験したことのない高血圧の値に心底恐れを感じました。そのまま点滴を30分しましたが症状は一向に治まりません。血圧も下がりません。「脳血管の問題かもしれない」このとき始めて本当の意味で「ヤバい」と思いました。

そのうち、尿意を感じていることに気づきました。しかも猛烈な。少しの体の動きでも失禁してしまいそうな感じでした。先ほどと同じように渾身の力を振り絞って、トイレまで歩こうと一瞬起き上がりましたが、今度はもう1センチたりとも頭を上げることもできませんでした。

これはもう病院に行くしかない。。神経内科医として最も尊敬している医師の自宅に電話して、アドバイスをもらいました。その結果私が医師生活のほとんどを過ごした市内の病院に救急搬送されることになりました。

まもなく、救急車のサイレンとともに救急隊の方が私の部屋に2−3人入られ、瞬く間に担架に乗せられました。このとき既に午後11時を回っていました。ご近所の方は、まさか医院から医者が救急車で運ばれるなど思ってもみないことでしたでしょう。その後ほどなくして、初めての長期にわたる入院生活に入ることになります。

### 退院して既に1ヶ月と3週間が過ぎ、まだ慢性的な後頭部痛と首を動かすたびに微妙なめまいがあるものの、ようやく心身に少し余裕ができてきています。
だんだん、発病時の感覚が失われ日常に戻りつつありますが、あのときの感覚をつなぎ止め、同じような病に悩む人の参考になればと考え、このような文章を書いています。

大きな病気を経て、思うことが多すぎて、それはもう語り尽くせません、ただ現在社会生活を曲がりなりにも営むことができている現状から考えると、私の場合ですが、病と言うのは
戦うものではなく、共にあるべきもの、自己と言うモザイクの中に突然やってきて(今回の場合)、そのパッチワークに時々刻々姿を変えながら組み込まれていくもののように思います。そういう意味では闘病記と言うより「共病記」と言った方が今回の場合しっくりきます。

続きも時間を見て書いていこうと思います。

と言うことで、今日の散歩。雲ひとつない秋の早朝の広瀬川。最高です。遠くにまたも芋煮会集団がいます。朝の7時なのに(笑)。
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by dobashinaika | 2014-10-19 22:49 | 医者が患者になった時 | Comments(2)


土橋内科医院の院長ブログです。心房細動やプライマリ・ケアに関連する医学論文の紹介もしくは知識整理を主な目的とします。時々日頃思うこともつぶやきます。


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