平成20年東北大学大学院医学系研究科病院管理学教室同窓会会報 より
-EBMとNBMのはざま-
以下は、ある診察室での医師と患者のやり取りである。
医師(以下D)「Pさん(患者)、心房細動という不整脈がありますね。これがあると脳卒中になる確率が普通の人より5倍くらい多いんですよ。○○監督や○○監督(実際には実名)がこの病気なんです。脳卒中を予防するにはワーファリンという血液を固まりにくくする薬を飲んだ方がいいです。飲めば脳卒中になる確率は普通の人より少し多いだけになりますよ。」
Pさん(以下P)「その薬は副作用がありますか?」
D「ええ。100人飲むと1年で1人くらいは胃とか脳からの出血があると言われています。そうならないようにきちんと外来に来てもらって、血を採って効き具合を確かめながら出します。」
P「ああ、出血とかするんですか。ほかの薬もたくさん飲んでるし、なんか飲みたくないですねえ。」
D「いや、副作用もありますが、脳卒中になりにくいというそれを上回るメリットがあるんですよ。たとえばPさんくらいのお歳でこの不整脈のある方でワーファリンを飲まないと100人中10人くらいの人が脳卒中になるのに対して、飲んだ人は...(これから延々こういった話が続いて)。。」
P「それでもやっぱりこわいから、やめときますわ。」
上記はいわゆるEBMの限界を示す事例としてよくお目にかかるような会話である。
いくらか脚色してはいるが、このような会話は私の医院でも頻繁に見られる。
ここ数年EBMは普及浸透した。
どこの学会に行ってもKaplan-Meier曲線のオンパレードである。
苦労しなくても何の薬にどんなエビデンスがあるかは簡単に入手できる。
ここ10年の間に医療従事者のdecision makingにおけるEBM占有率は確実に増加した。
しかしである。
長年に渡るエビデンスの蓄積、数々の生存曲線、各種媒体からのエビデンスの収集等々、それらのものは患者の「こわいから」の一言で一瞬に吹き飛んでしまう。
また、良かれと思って処方した薬でも、数年にわたって患者が確実に服用できる確率は驚くほど低いといわれている。
多くのEBM学習者は、日常臨床でいやというほどこのような経験をし、ナラティブの大切さに気付いていく。
ナラティブベイスドメディスン(NBM)は、上記のような事態に対し、「患者のナラティブ」を尊重することの大切さを教える。
ワーファリンとういう薬剤の生物学的効果だけを考えても不十分であること。
日々綿々と続く生活世界において、自分が薬を飲むことをどういうイメージでとらえているのか?薬がこわいから、という物語にどう介入してくべきか?といったことを問題視すること。
医療者の視点(ナラティブ)と患者のそれとのすり合わせをすること等々。
要素還元主義的医学教育に染まった医療者にとって、こうした視点は大変新鮮で魅力的だ。
ナラティブベイスドメディスン(NBM)は上記のようにEBMを補完するツールとして認識されてきた側面があるが、考えてみれば医療は患者との対話なくして成り立たないわけであり、とうの昔からNBMの視点は医療の本質たり続けていると考えることもできる。
多くの良心的医療者は、自身の臨床経験が深まり行くほどに、EBM的視点とNBM的視点の両者の重要性をあらためて実感するのである。
しかしである(2回目)。
これらの視点を持って医療にあたる場合の、無視できない克服困難な障壁がいくつも存在する。
ひとつは日本の医療システムである。
フリーアクセス、ローコストが特徴とされる医療現場、具体的には極めて短時間に多くの患者を診療しなければ経済的基盤を保持しえない医療者の事情があり、とくに患者のナラティブを聴取し共感する場合の妨げとなる。
「時間がなくてじっくり聞けない」のである。
心療内科、精神科専門施設がそうした事例に対応可能な施設として想定されるが、上記のように一般の内科診療、生活習慣病診療においても当然のことながらNBM的視点は医療現場での根幹をなすものである。
さらにもう一つの、そして上記よりさらに厄介な障壁は、医療者のナラティブである。
上記の会話の中で最後に「やっぱりやめときますわ」と患者が言った際の医療者のストレスを考えてみるとよい。
多くの医療者は、やはり要素還元主義的なものの考え方が細胞のすみずみに染みわたっており、生物学的あるいは病態生理学的論理をセントラルドグマに位置付けている。
いわゆる「医師アタマ」である。
丁寧にエビデンスを説明したつもりなのに、一瞬にしてその論理を患者から否定されれば、やはり「ムカつく」わけである。このムカつきの根源はかなり深いように思われる。
しかしである(3回目)。
現在の状況下でもこのような障壁は少しずつ克服していくべきであるし、方策がないわけではない。
例えば、診療時間は確かに短いが、その代わり患者はいつ受診してもよいし、月1~2回とかなり頻繁に受診できる。
今日、患者はこうしたことを言っていた、じゃあ今度の受診ではこういう風に話してみよう、という戦略が比較的短時間で建てられ実践できる。
日本医療の「アクセスのよさ」の強みである。
「薬を飲みたくない」と言わせる背景には、そもそも薬そのものに対する依存度、信頼度であるとか、知人で飲んだ人がいて副作用のことを聞いていたとか、さまざまな要素が絡み合っている。これを理解するのは一筋縄ではいかない極めて難しい課題かもしれない。
しかし何回も回数をかけてこれらの要素をゆっくり解きほぐしていける場合もあり、そのこと自体はプライマリケアにおける醍醐味とは言わないまでも、日々の診療のインセンティブとなるのではないだろうか?
もう一つ、医師アタマ克服対策。
これは確かに根深い問題だが、時間をかけた訓練で克服を試みるべきである。
これには「自分の感情を客観的に見るこころがけ」やグーリシャンたのいわゆる「無知の姿勢」すなわち「いったん医師の論理をカッコに入れて患者のナラティブに対する好奇心を持つようにするこころがけ」が必要である。
自分の感情を客観的に見られるか?という根本疑問はあるものの、繰り返しの訓練によって、上記の「ムカつき」感情はある程度コントロールできるようになるというのが最近の実感である。まあそれだけ年をとったからなのかもしれないが。
その際注意すべきなのは、よくある訴えとか、所詮理解不能だから先のばし、などと片付けて最初からニヒリズムに陥らないようにすることである。
それから、EBMの限界を知ることは、医師アタマを相対化させることにつながっている。
ワーファリンを飲めば絶対脳卒中を起こさない、とは決して言えない。
リスクが低下するだけである。
NNT=1という治療法は存在しないのであって、decision makingは他の治療との相対的なリスク減少をもとになされるにすぎない。
EBMを実践しようとするほどこの教えは実感となる。
エビデンスを絶対視しない態度につながり、私自身もEBMをひとつのオプションとしてとらえられるようになったと感じている。
EBMの普及からNBMの再評価へ。
この流れは医学教育あるいは医療界全般の流れかもしれないが、プライマリケアに従事してみて肌身で実感することでもある。
往診の現場での患者の置かれた環境、家族の思い、地域のいろいろなコミュニケーションの場などを見聞きするにつれて、「患者中心」という言葉が何となく空々しく感じられてくる。
患者でなく「生活者」と呼んだ方がしっくりくる。
日常を生きる生活者が時として患者の役割を演じている、その中で医療者がどう医療を提供していけばよいのか?そう考えながら診療したいと思う。
以下は、ある診察室での医師と患者のやり取りである。
医師(以下D)「Pさん(患者)、心房細動という不整脈がありますね。これがあると脳卒中になる確率が普通の人より5倍くらい多いんですよ。○○監督や○○監督(実際には実名)がこの病気なんです。脳卒中を予防するにはワーファリンという血液を固まりにくくする薬を飲んだ方がいいです。飲めば脳卒中になる確率は普通の人より少し多いだけになりますよ。」
Pさん(以下P)「その薬は副作用がありますか?」
D「ええ。100人飲むと1年で1人くらいは胃とか脳からの出血があると言われています。そうならないようにきちんと外来に来てもらって、血を採って効き具合を確かめながら出します。」
P「ああ、出血とかするんですか。ほかの薬もたくさん飲んでるし、なんか飲みたくないですねえ。」
D「いや、副作用もありますが、脳卒中になりにくいというそれを上回るメリットがあるんですよ。たとえばPさんくらいのお歳でこの不整脈のある方でワーファリンを飲まないと100人中10人くらいの人が脳卒中になるのに対して、飲んだ人は...(これから延々こういった話が続いて)。。」
P「それでもやっぱりこわいから、やめときますわ。」
上記はいわゆるEBMの限界を示す事例としてよくお目にかかるような会話である。
いくらか脚色してはいるが、このような会話は私の医院でも頻繁に見られる。
ここ数年EBMは普及浸透した。
どこの学会に行ってもKaplan-Meier曲線のオンパレードである。
苦労しなくても何の薬にどんなエビデンスがあるかは簡単に入手できる。
ここ10年の間に医療従事者のdecision makingにおけるEBM占有率は確実に増加した。
しかしである。
長年に渡るエビデンスの蓄積、数々の生存曲線、各種媒体からのエビデンスの収集等々、それらのものは患者の「こわいから」の一言で一瞬に吹き飛んでしまう。
また、良かれと思って処方した薬でも、数年にわたって患者が確実に服用できる確率は驚くほど低いといわれている。
多くのEBM学習者は、日常臨床でいやというほどこのような経験をし、ナラティブの大切さに気付いていく。
ナラティブベイスドメディスン(NBM)は、上記のような事態に対し、「患者のナラティブ」を尊重することの大切さを教える。
ワーファリンとういう薬剤の生物学的効果だけを考えても不十分であること。
日々綿々と続く生活世界において、自分が薬を飲むことをどういうイメージでとらえているのか?薬がこわいから、という物語にどう介入してくべきか?といったことを問題視すること。
医療者の視点(ナラティブ)と患者のそれとのすり合わせをすること等々。
要素還元主義的医学教育に染まった医療者にとって、こうした視点は大変新鮮で魅力的だ。
ナラティブベイスドメディスン(NBM)は上記のようにEBMを補完するツールとして認識されてきた側面があるが、考えてみれば医療は患者との対話なくして成り立たないわけであり、とうの昔からNBMの視点は医療の本質たり続けていると考えることもできる。
多くの良心的医療者は、自身の臨床経験が深まり行くほどに、EBM的視点とNBM的視点の両者の重要性をあらためて実感するのである。
しかしである(2回目)。
これらの視点を持って医療にあたる場合の、無視できない克服困難な障壁がいくつも存在する。
ひとつは日本の医療システムである。
フリーアクセス、ローコストが特徴とされる医療現場、具体的には極めて短時間に多くの患者を診療しなければ経済的基盤を保持しえない医療者の事情があり、とくに患者のナラティブを聴取し共感する場合の妨げとなる。
「時間がなくてじっくり聞けない」のである。
心療内科、精神科専門施設がそうした事例に対応可能な施設として想定されるが、上記のように一般の内科診療、生活習慣病診療においても当然のことながらNBM的視点は医療現場での根幹をなすものである。
さらにもう一つの、そして上記よりさらに厄介な障壁は、医療者のナラティブである。
上記の会話の中で最後に「やっぱりやめときますわ」と患者が言った際の医療者のストレスを考えてみるとよい。
多くの医療者は、やはり要素還元主義的なものの考え方が細胞のすみずみに染みわたっており、生物学的あるいは病態生理学的論理をセントラルドグマに位置付けている。
いわゆる「医師アタマ」である。
丁寧にエビデンスを説明したつもりなのに、一瞬にしてその論理を患者から否定されれば、やはり「ムカつく」わけである。このムカつきの根源はかなり深いように思われる。
しかしである(3回目)。
現在の状況下でもこのような障壁は少しずつ克服していくべきであるし、方策がないわけではない。
例えば、診療時間は確かに短いが、その代わり患者はいつ受診してもよいし、月1~2回とかなり頻繁に受診できる。
今日、患者はこうしたことを言っていた、じゃあ今度の受診ではこういう風に話してみよう、という戦略が比較的短時間で建てられ実践できる。
日本医療の「アクセスのよさ」の強みである。
「薬を飲みたくない」と言わせる背景には、そもそも薬そのものに対する依存度、信頼度であるとか、知人で飲んだ人がいて副作用のことを聞いていたとか、さまざまな要素が絡み合っている。これを理解するのは一筋縄ではいかない極めて難しい課題かもしれない。
しかし何回も回数をかけてこれらの要素をゆっくり解きほぐしていける場合もあり、そのこと自体はプライマリケアにおける醍醐味とは言わないまでも、日々の診療のインセンティブとなるのではないだろうか?
もう一つ、医師アタマ克服対策。
これは確かに根深い問題だが、時間をかけた訓練で克服を試みるべきである。
これには「自分の感情を客観的に見るこころがけ」やグーリシャンたのいわゆる「無知の姿勢」すなわち「いったん医師の論理をカッコに入れて患者のナラティブに対する好奇心を持つようにするこころがけ」が必要である。
自分の感情を客観的に見られるか?という根本疑問はあるものの、繰り返しの訓練によって、上記の「ムカつき」感情はある程度コントロールできるようになるというのが最近の実感である。まあそれだけ年をとったからなのかもしれないが。
その際注意すべきなのは、よくある訴えとか、所詮理解不能だから先のばし、などと片付けて最初からニヒリズムに陥らないようにすることである。
それから、EBMの限界を知ることは、医師アタマを相対化させることにつながっている。
ワーファリンを飲めば絶対脳卒中を起こさない、とは決して言えない。
リスクが低下するだけである。
NNT=1という治療法は存在しないのであって、decision makingは他の治療との相対的なリスク減少をもとになされるにすぎない。
EBMを実践しようとするほどこの教えは実感となる。
エビデンスを絶対視しない態度につながり、私自身もEBMをひとつのオプションとしてとらえられるようになったと感じている。
EBMの普及からNBMの再評価へ。
この流れは医学教育あるいは医療界全般の流れかもしれないが、プライマリケアに従事してみて肌身で実感することでもある。
往診の現場での患者の置かれた環境、家族の思い、地域のいろいろなコミュニケーションの場などを見聞きするにつれて、「患者中心」という言葉が何となく空々しく感じられてくる。
患者でなく「生活者」と呼んだ方がしっくりくる。
日常を生きる生活者が時として患者の役割を演じている、その中で医療者がどう医療を提供していけばよいのか?そう考えながら診療したいと思う。
#
by dobashinaika
| 2008-03-01 08:00
| EBM
平成19年東北大学大学院医学系研究科病院管理学教室同窓会会報 より
-PDAから手帳へ-
勤務医から開業医に転身し、何もかもが私にとって変化したが、開業3年目にしてはじめて、大きく変化したことがある。
それまで愛用していたPDAを手放し、普通の手帳に回帰したことである。
勤務医時代にSONYのクリエ→SHARPのザウルスとずっと電子手帳の恩恵を受けてきた。
勤務医時代最も役立ったのは、「今日の治療薬」「UpToDate」などの医療知識を本を広げることなく入手できることであった。
しかしいまやそれも必要ない。
ほぼ一日中診察室の椅子に座っての生活であるから、デスクトップパソコンで事が足り、PDAの手軽さは必要ないのである。
変わりに、何かにつけメモをする作業が多くなった。
問診をしているとき、身体所見をとっているとき、臨床上のいろんな疑問がわいてくる。
また突如保健医療上の問題点に気づくこともある。
そのようなときPDAにスタイラスで記入するのは大変労力がいる。
やはりすばやく物事を書き取るのは、ペンに紙なのである。
これはデジタルツールとアナログツールという好みの問題ではない。
何か他の媒体に自分の頭に浮かんだ物を残しておく、そうした知的欲求が生じやすい環境には、手帳が適合しやすいということである。
思えば、勤務医時代はそのような欲求が生じる余裕も時間もなかった。
ひたすら目の前の現象(患者)に、いかに効率的に反応するかというすべを、強要されるような環境なのである。
そのような環境では、すばやく知識の断片が得られる電子機器はお手軽で便利である。
しかしながら、ゆっくり自分のアイディアや考えを残す、まとめるといった作業には向かない。
情報のアウトプットには手帳、インプットにはPDAが適する、ということだろうか。
勤務医がなだれを打って開業医に転身する時勢であるが、情報を手際よく受け止めすばやく反応せざるを得ない場面の連続、上記の文脈で言えば、PDAフレンドリーな作業環境に、皆が疲れているのではあるまいか。
ゆっくり頭の中を整理する、自分の感情も含めて何らかの形で外に出す、そうした脳内のもやもやを吐き出す作業に費やす時間も余裕もない。
そうした肉体的だけでなく知的にも殺伐とした状況に多くの勤務医が置かれている。
われわれは知恵を出し合って、こうしたPDA的脊髄反射的環境から手帳的大脳皮質的環境へと勤務医を含めたすべての医療従事者を解放する手立てを考える必要がある。
かく言う私はと言えば、散々悩んだ挙句システム手帳を買って使ってはいるものの、すぐに新製品のイーモバイルが気になって買うか買うまいかで夜も眠れないといった状況である。
やっぱり今になっても脊髄反射的生活からなかなか脱却できないでいるのである。
勤務医から開業医に転身し、何もかもが私にとって変化したが、開業3年目にしてはじめて、大きく変化したことがある。
それまで愛用していたPDAを手放し、普通の手帳に回帰したことである。
勤務医時代にSONYのクリエ→SHARPのザウルスとずっと電子手帳の恩恵を受けてきた。
勤務医時代最も役立ったのは、「今日の治療薬」「UpToDate」などの医療知識を本を広げることなく入手できることであった。
しかしいまやそれも必要ない。
ほぼ一日中診察室の椅子に座っての生活であるから、デスクトップパソコンで事が足り、PDAの手軽さは必要ないのである。
変わりに、何かにつけメモをする作業が多くなった。
問診をしているとき、身体所見をとっているとき、臨床上のいろんな疑問がわいてくる。
また突如保健医療上の問題点に気づくこともある。
そのようなときPDAにスタイラスで記入するのは大変労力がいる。
やはりすばやく物事を書き取るのは、ペンに紙なのである。
これはデジタルツールとアナログツールという好みの問題ではない。
何か他の媒体に自分の頭に浮かんだ物を残しておく、そうした知的欲求が生じやすい環境には、手帳が適合しやすいということである。
思えば、勤務医時代はそのような欲求が生じる余裕も時間もなかった。
ひたすら目の前の現象(患者)に、いかに効率的に反応するかというすべを、強要されるような環境なのである。
そのような環境では、すばやく知識の断片が得られる電子機器はお手軽で便利である。
しかしながら、ゆっくり自分のアイディアや考えを残す、まとめるといった作業には向かない。
情報のアウトプットには手帳、インプットにはPDAが適する、ということだろうか。
勤務医がなだれを打って開業医に転身する時勢であるが、情報を手際よく受け止めすばやく反応せざるを得ない場面の連続、上記の文脈で言えば、PDAフレンドリーな作業環境に、皆が疲れているのではあるまいか。
ゆっくり頭の中を整理する、自分の感情も含めて何らかの形で外に出す、そうした脳内のもやもやを吐き出す作業に費やす時間も余裕もない。
そうした肉体的だけでなく知的にも殺伐とした状況に多くの勤務医が置かれている。
われわれは知恵を出し合って、こうしたPDA的脊髄反射的環境から手帳的大脳皮質的環境へと勤務医を含めたすべての医療従事者を解放する手立てを考える必要がある。
かく言う私はと言えば、散々悩んだ挙句システム手帳を買って使ってはいるものの、すぐに新製品のイーモバイルが気になって買うか買うまいかで夜も眠れないといった状況である。
やっぱり今になっても脊髄反射的生活からなかなか脱却できないでいるのである。
#
by dobashinaika
| 2007-03-01 08:00
| 開業医生活
平成18年東北大学大学院医学系研究科病院管理学教室同窓会会報 より
-診療室のいすから見る医療サービス-
おかげさまで、この3月で開業3年目を迎えます。
当院は、平成元年に前院長小林清先生が開院され、平成15年に私が継承いたしております。当初から使い勝手のよい設計の医院でしたが、さすがにやや老朽化し、狭隘になってまいりました。
幸い医院の玄関脇に往診用の車を止めておくスペースがありましたので、昨年暮れに、その場所に診察室を増築することにいたしました。
おかげさまでかなり快適な診察室が出来上がりましたが、私には診察室についてささやかなる夢がございました。
以前、NHKの特集で米国のある病院のがん専門外来が映し出されたのですが、そこの診察室がまるで普通の家庭のリビングルームのような感じだったのです。
患者用のいすは普通のソファで、患者はソファにゆっくりともたれかかりながら、医師と談笑しておりました。
また壁にはパッチワークや絵画がふんだんに飾られ、全く冷たい印象がなく、われわれの「診察室」に抱いているイメージとはおおよそかけ離れたすてきな部屋でした。
できればあんな診察室を作りたい・・・
長い間あの部屋のイメージが心に引っかかっておりましたため、今回はなるべくそのイメージに近づけようと腐心いたしました。
ところが、患者用のいすを選定する段階で困ったことに気づきました。
なるべくあのテレビでやっていたようなソファに近いものをと思っていたのですが、内科の診察の場合、全身観察、特に背部の聴診をする必要があり、背もたれはないか低めがよく、回転したほうが診察はしやすいのです。
背もたれが低く、回転し、しかもソファのようにゆったりしたいす...
医療用始めいろいろな家具メーカーのカタログを集め、またあちこちの家具屋に足を運びましたがなかなかこれだというものに出会えません。
そうこうしているうちに工事完成の日が近づいてまいりました。
迷った挙句、暮れのある日、東京での研究会をそこそこにお台場の巨大家具センターに足を運びました。
半日つぶして目がくらむほど広い売り場を回り、ようやくこれがいいかなといういすが決まりました。
今当院の診察室には、おおよそ診察室のいすとは呼びがたいかなり大きめのソファがで~んと鎮座しております(写真)。
当初予想していなかったのですが、患者さんが入って来られて、そのいすを最初に目にされた際の行動は大変興味深いものがあります。
一番多いのは、本当に座っていいですかという感じで躊躇されるという「反応」です。
また、こんな立派ないすに患者が座るのは申し訳ないから先生がこっちに座ってください、と言われる方も何人かおられました。
どっかりと座られたあと、深々と腰掛け、いすを回されたりして座り心地をゆっくり楽しまれる方もおります。
患者サービスもこんなところまで考えなければならないんですねーと意味ありげな感想を言われる方もいれば、本当にすてきですねーと素直に感激してくださる方もおられます。
導入して1ヶ月たちましたが、これほどいろいろなパターンの「反応」が返ってくるとは思いませんでした。
統計を取っておけば立派な医療接遇の研究になったのではと、少々後悔したりもしております。
患者用のいすといえば、医者のそれに比べてかなり貧相であり、故遠藤周作氏がその点に疑義を呈していたのが思い出されます。
しかし内科診察の場合、いすは診察台としての役割も担うため、快適性と機能性を両立させることは困難を伴います。
また多忙を極める診療所では、なるべく短時間で手際よく診察する必要があるため、いすの快適性などを追求されることはまれかと思われます。
しかし、今回2つのいすを並べて座り比べてみましたが、ソファ型だと、ふんわり包み込んでくれる感じなのに対し、従来の丸いすは硬く冷たく、座るものを拒否するように感じられました。
快適性と機能性、この相反する概念を以下にブレンドさせていいサービスを提供するか、いすの選択という些細なことからも今後の医療あり方を再考するいい機会となりました。
もちろん、いすの硬さといったハード面より、肝心の診療内容を充実させることにより腐心すべきと肝に命じながら...
おかげさまで、この3月で開業3年目を迎えます。
当院は、平成元年に前院長小林清先生が開院され、平成15年に私が継承いたしております。当初から使い勝手のよい設計の医院でしたが、さすがにやや老朽化し、狭隘になってまいりました。
幸い医院の玄関脇に往診用の車を止めておくスペースがありましたので、昨年暮れに、その場所に診察室を増築することにいたしました。
おかげさまでかなり快適な診察室が出来上がりましたが、私には診察室についてささやかなる夢がございました。
以前、NHKの特集で米国のある病院のがん専門外来が映し出されたのですが、そこの診察室がまるで普通の家庭のリビングルームのような感じだったのです。
患者用のいすは普通のソファで、患者はソファにゆっくりともたれかかりながら、医師と談笑しておりました。
また壁にはパッチワークや絵画がふんだんに飾られ、全く冷たい印象がなく、われわれの「診察室」に抱いているイメージとはおおよそかけ離れたすてきな部屋でした。
できればあんな診察室を作りたい・・・
長い間あの部屋のイメージが心に引っかかっておりましたため、今回はなるべくそのイメージに近づけようと腐心いたしました。
ところが、患者用のいすを選定する段階で困ったことに気づきました。
なるべくあのテレビでやっていたようなソファに近いものをと思っていたのですが、内科の診察の場合、全身観察、特に背部の聴診をする必要があり、背もたれはないか低めがよく、回転したほうが診察はしやすいのです。
背もたれが低く、回転し、しかもソファのようにゆったりしたいす...
医療用始めいろいろな家具メーカーのカタログを集め、またあちこちの家具屋に足を運びましたがなかなかこれだというものに出会えません。
そうこうしているうちに工事完成の日が近づいてまいりました。
迷った挙句、暮れのある日、東京での研究会をそこそこにお台場の巨大家具センターに足を運びました。
半日つぶして目がくらむほど広い売り場を回り、ようやくこれがいいかなといういすが決まりました。
今当院の診察室には、おおよそ診察室のいすとは呼びがたいかなり大きめのソファがで~んと鎮座しております(写真)。
当初予想していなかったのですが、患者さんが入って来られて、そのいすを最初に目にされた際の行動は大変興味深いものがあります。
一番多いのは、本当に座っていいですかという感じで躊躇されるという「反応」です。
また、こんな立派ないすに患者が座るのは申し訳ないから先生がこっちに座ってください、と言われる方も何人かおられました。
どっかりと座られたあと、深々と腰掛け、いすを回されたりして座り心地をゆっくり楽しまれる方もおります。
患者サービスもこんなところまで考えなければならないんですねーと意味ありげな感想を言われる方もいれば、本当にすてきですねーと素直に感激してくださる方もおられます。
導入して1ヶ月たちましたが、これほどいろいろなパターンの「反応」が返ってくるとは思いませんでした。
統計を取っておけば立派な医療接遇の研究になったのではと、少々後悔したりもしております。
患者用のいすといえば、医者のそれに比べてかなり貧相であり、故遠藤周作氏がその点に疑義を呈していたのが思い出されます。
しかし内科診察の場合、いすは診察台としての役割も担うため、快適性と機能性を両立させることは困難を伴います。
また多忙を極める診療所では、なるべく短時間で手際よく診察する必要があるため、いすの快適性などを追求されることはまれかと思われます。
しかし、今回2つのいすを並べて座り比べてみましたが、ソファ型だと、ふんわり包み込んでくれる感じなのに対し、従来の丸いすは硬く冷たく、座るものを拒否するように感じられました。
快適性と機能性、この相反する概念を以下にブレンドさせていいサービスを提供するか、いすの選択という些細なことからも今後の医療あり方を再考するいい機会となりました。
もちろん、いすの硬さといったハード面より、肝心の診療内容を充実させることにより腐心すべきと肝に命じながら...
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by dobashinaika
| 2006-03-01 08:00
| 開業医生活
宮城県保険医新聞 より
長い勤務医生活の後に半年間開業医をやってみて思うことは、開業医とはつくづく孤独であるということであろう。
開業医は個人事業主なのだからそんなことは当たり前と諸先輩方からしかられそうであるが、私が言う孤独の意味は経営責任だけのことではない。
日常の診療における患者情報および医学的知識の共有という点からみて、現在の開業医が置かれた状況はかなりさびしいのではないかということである。
たとえば自分が紹介した患者に関する経過は、退院してから全容を知ることが多い。
最近はオープン形式を取り入れている病院も多く、またこまめに情報を送っていただける病院医師もいらっしゃるが、まだ少数ではないだろうか?
また、珍しい症例は地方会等で発表されることもあるが、ことcommon diseaseに関しては、聞くに聞けないようなことを抱えて一人悩むことも少なくない。
◆緊張型頭痛で悩む患者にCTをせがまれたときにどう対応するのか?
◆3週間以上長引く咳に対してどのような優先順位で処方していくのか?
◆危険因子のない高脂血症の女性にスタチンを出すべきか?
などなどきりがないが、こうしたちょっとしたことでも他の先生方はどうされているのだろうと思うことは、しばしばである。
今は幸いEBMという強い(?)味方があるのであり、また各種研究会と称するものは毎日のように開かれ、懇親会の席で他の開業医の先輩方と情報交換する機会も多い。
しかし、たとえばこれが勤務医時代なら、あまり労力を使わずに医局の先生に聞けばすんでしまうことである。
以上のことはひとえに私の人脈のなさ、情報収集力の貧困さを露呈しただけなのかもしれないが、ただ開業医になって(というより外来診療において)最も不安に思うことは、自分の診療行為をフィードバックしてくれるシステムが乏しいということである。
◆誰も今出したかぜの患者に対する処方のよしあしを評価してくれない。
◆毎日やっている説明のしかたに問題点を指摘してくれるものは誰もいない。
唯一フィードバックしてくれるものは、まさに患者さんの様態それ自身である。
こうした中で、雑用の合間を縫っていじましくも勉強しているのが多くの開業医の姿ではなかろうか?
私としては、もっと効率のよい情報収集の方法があると確信している。
たとえばもう各地でだいぶ普及しているいわゆるバーチャル医局(メーリングリスト)の立ち上げ。
病院のカンファランスや回診により容易に参加できるような環境整備等々。
とにかくネットワークを組織的に構築することがわれわれ開業医のスキルアップの早道ではあるまいか?諸先生方のご意見を賜りたい。
開業医は個人事業主なのだからそんなことは当たり前と諸先輩方からしかられそうであるが、私が言う孤独の意味は経営責任だけのことではない。
日常の診療における患者情報および医学的知識の共有という点からみて、現在の開業医が置かれた状況はかなりさびしいのではないかということである。
たとえば自分が紹介した患者に関する経過は、退院してから全容を知ることが多い。
最近はオープン形式を取り入れている病院も多く、またこまめに情報を送っていただける病院医師もいらっしゃるが、まだ少数ではないだろうか?
また、珍しい症例は地方会等で発表されることもあるが、ことcommon diseaseに関しては、聞くに聞けないようなことを抱えて一人悩むことも少なくない。
◆緊張型頭痛で悩む患者にCTをせがまれたときにどう対応するのか?
◆3週間以上長引く咳に対してどのような優先順位で処方していくのか?
◆危険因子のない高脂血症の女性にスタチンを出すべきか?
などなどきりがないが、こうしたちょっとしたことでも他の先生方はどうされているのだろうと思うことは、しばしばである。
今は幸いEBMという強い(?)味方があるのであり、また各種研究会と称するものは毎日のように開かれ、懇親会の席で他の開業医の先輩方と情報交換する機会も多い。
しかし、たとえばこれが勤務医時代なら、あまり労力を使わずに医局の先生に聞けばすんでしまうことである。
以上のことはひとえに私の人脈のなさ、情報収集力の貧困さを露呈しただけなのかもしれないが、ただ開業医になって(というより外来診療において)最も不安に思うことは、自分の診療行為をフィードバックしてくれるシステムが乏しいということである。
◆誰も今出したかぜの患者に対する処方のよしあしを評価してくれない。
◆毎日やっている説明のしかたに問題点を指摘してくれるものは誰もいない。
唯一フィードバックしてくれるものは、まさに患者さんの様態それ自身である。
こうした中で、雑用の合間を縫っていじましくも勉強しているのが多くの開業医の姿ではなかろうか?
私としては、もっと効率のよい情報収集の方法があると確信している。
たとえばもう各地でだいぶ普及しているいわゆるバーチャル医局(メーリングリスト)の立ち上げ。
病院のカンファランスや回診により容易に参加できるような環境整備等々。
とにかくネットワークを組織的に構築することがわれわれ開業医のスキルアップの早道ではあるまいか?諸先生方のご意見を賜りたい。
#
by dobashinaika
| 2005-08-01 08:00
| 開業医生活
仙台市医師会雑誌 2005年2月号 より
本当のEBMとは?
---エビ(デンス)・スパイスを利かせた日常診療のすすめ---
「腹部エコーで膵臓をきれいに描出するにはどうすればよいか」
「Aさんの発疹は虫刺されで本当に良かったのか」
「75歳心房細動にはワーファリンかアスピリンか?」
「健診で総コレステロール265であった中年女性で耐糖能異常のみ有する場合、 スタチンを投与すべきか?」
まるで研修医のメモのように見えますが、以上は何と、ある日診療が終わった後に私が自分のパソコンに打ち込んだその日生じた疑問の数々です。
循環器専門医であった私にとって他分野では自信のないことが本当に多く、この1年は目の前の受診者を前にしながら頭の中が「????」となる毎日でした。
そこであるセミナーでご一緒した先生からの勧めで、診療した症例のカルテをその日の夜に復習し、疑問点をファイルメーカーに打ち込んでいくことにしました。
(もちろん毎日はしません)
やっていてすぐに気付いたのですが、疑問には2種類あることが判明しました。
(A)経験しないとわからないこと
(B)調べないとわからないこと の2つです。
そこでファイルメーカーにカテゴリー欄を設定し、各疑問をカテゴリーわけすることにしました。
上記4つの疑問のうち前2者はA、後2者はBでしょうか。
カテゴリーわけをすると、疑問を解決する際に当たるべきリソース選択が容易となります。
Aに属する疑問ならば、教科書やアトラスを見る、エコーや皮膚科の専門家に聞く、講演会・講習会に通う、といった方策が有効と思われます。
その後は経験をひたすら積むだけです。
問題はBです。これらの疑問はいくら受診者をあれこれ診察したり、ない知恵を振り絞っても答えは出ません。
そこでいよいよEBMの登場です!
EBMはこのように先人の集積したデータでしか答えが出せないような疑問について、われわれにありがたい知恵を授けてくれ(る場合があり)ます。
ここで重要なのはエビデンスとして何を採択するかです。
製薬会社主催の講演会、各種のガイドランなどはかなり良く使われるリソースです。
確かにこれらは苦労いらずの手段ですが、かなり手前味噌であったり、「はあ?」と言ってみたくなるガイドライン(特に日本の)も少なくありません。
私はカテゴリーBの解決にはUpToDate、クリニカルエビデンス、infoPOEMsといったネット上で手軽に入手できる二次情報を利用しています。
これらはあまたの論文に対し、批判的吟味を施した上で、コメント付でわかりやすくかつ確かな情報を提供してくれます。
原著論文に当たる労力や、統計の知識も要らない大変便利なツールたちです。
たとえば、「ワーファリンの有効性」などの疑問は、慣れてくれば上記ウェブサイトで1分以内に解決文にたどり着けます。
何かと雑用の多い開業医にとってこれほどありがたいことはありません。
こうして得られたエビ(エビデンスのことをこう呼ぶ人もいる)を解答欄に書いておけば、同じ疑問が生じたとき、たとえば受診者の目の前でちょっとパソコンのその欄を見たりすることも可能です。
と、ここまでさらっと書きましたが、次のような疑念が当然渦巻きます。
すなわち「欧米人のデータがほとんどである」「EBMでは最大公約数的な情報しか得られず、各個人個人には適応できない」「大規模試験といえど信用できないものも多い」これらは機会あるごとに提起されたEBMに対する批判です。
一言で言えば、「目の前の患者にエビをどう適用するか」ということです。
最近このような批判疑念に対しては、「臨床上の意思決定には、エビだけでなくたくさんの要素が絡んでくる」という視点が重要なのだと考えるようになりました。
たとえばワーファリンの適応について考えてみます。
大規模試験などでは、ワーファリンを支持する知見が多くみられます。
しかし受診者の中には納豆が大好きでどうしてもワーファリンは飲みたくない方もおられるでしょう。
このような例では、すぐに結論を急がず、なるべく統計的な数字を言うのは避けて、お互いの合意点を見つけていくようにします。
また長島監督の事を見て、すぐにでも無条件に飲むという方もいるでしょう。
こうした方にはワーファリンの有効性とともに副作用についての情報をある程度の数字を提示しながら説明します。
より困難なのは、「耐糖能異常の女性へのスタチン」のようにはっきりしたエビがないときです。
こんなときはまずはっきりしたエビがないことを納得してもらいます。
このとき医者がわかってないのでなく、医学研究でわかってないということを強調することにしてます。
いずれの場合も大事なことは、受診者の理解度がどのくらいか常に意識しながら説明することです。
あれ?やっぱりまだモヤっとしていますでしょうか?実は私もなんです。
モヤっとの原因は下線をつけたところでしょうか?
それは下線の部分=「エビデンス語り」「エビデンス伝え」が,それこそ人さまざまでクリアカットに記述できないからにほかなりません。
結局「エビの適用」は聴診技術、冠動脈吻合の技術などと同じ、決して万人が手軽に体得できない「暗黙知」の領域だからだと思います。
エビを得るのは易し、伝える(使う)のは難し。
クックブックはそろっているが、エビ・スパイスの利かせ方は一人一人違わせざるをえない。EBMを知れば知るほど、マクドナルド医療から遠ざかっていきます。
EBMの元祖.D.L.Sackett曰く①専門技術②エビ③患者の好み、を統合せよ、とのことですが、そんな難しいこと簡単にできんわい!といいのが医療人みなの正直なところかと思われます。
そもそも説明、語りといったところはこれまで医療者が、個々のセンスの問題などとして、真剣に論じてこなかったところだと思われます。
1月に東京で開かれた全国規模のEBMセミナー(宮城からは私と大河原の河内先生が参加)でも如何にエビを伝えるかに話題が集中しました。
また全国各地でそうした問題を共有するための勉強会が活発に行われているとの報告がありました。
仙台周辺でもそうしたいわゆるジャーナルクラブが数多くできればと思います。
それでも何とかエビ・スパイスを利かせた処方を心がけたい。
利かせ方のレシピを共有したい。そこのところを投げ出さず、時々は皆で考える様にしたい。
毎日MRさんが持ってこられるガイドラインのパンフなどを見るにつけ、ますますそうした必要性を感じます。同じようなお考えの方、連絡お待ちしております。
---エビ(デンス)・スパイスを利かせた日常診療のすすめ---
「腹部エコーで膵臓をきれいに描出するにはどうすればよいか」
「Aさんの発疹は虫刺されで本当に良かったのか」
「75歳心房細動にはワーファリンかアスピリンか?」
「健診で総コレステロール265であった中年女性で耐糖能異常のみ有する場合、 スタチンを投与すべきか?」
まるで研修医のメモのように見えますが、以上は何と、ある日診療が終わった後に私が自分のパソコンに打ち込んだその日生じた疑問の数々です。
循環器専門医であった私にとって他分野では自信のないことが本当に多く、この1年は目の前の受診者を前にしながら頭の中が「????」となる毎日でした。
そこであるセミナーでご一緒した先生からの勧めで、診療した症例のカルテをその日の夜に復習し、疑問点をファイルメーカーに打ち込んでいくことにしました。
(もちろん毎日はしません)
やっていてすぐに気付いたのですが、疑問には2種類あることが判明しました。
(A)経験しないとわからないこと
(B)調べないとわからないこと の2つです。
そこでファイルメーカーにカテゴリー欄を設定し、各疑問をカテゴリーわけすることにしました。
上記4つの疑問のうち前2者はA、後2者はBでしょうか。
カテゴリーわけをすると、疑問を解決する際に当たるべきリソース選択が容易となります。
Aに属する疑問ならば、教科書やアトラスを見る、エコーや皮膚科の専門家に聞く、講演会・講習会に通う、といった方策が有効と思われます。
その後は経験をひたすら積むだけです。
問題はBです。これらの疑問はいくら受診者をあれこれ診察したり、ない知恵を振り絞っても答えは出ません。
そこでいよいよEBMの登場です!
EBMはこのように先人の集積したデータでしか答えが出せないような疑問について、われわれにありがたい知恵を授けてくれ(る場合があり)ます。
ここで重要なのはエビデンスとして何を採択するかです。
製薬会社主催の講演会、各種のガイドランなどはかなり良く使われるリソースです。
確かにこれらは苦労いらずの手段ですが、かなり手前味噌であったり、「はあ?」と言ってみたくなるガイドライン(特に日本の)も少なくありません。
私はカテゴリーBの解決にはUpToDate、クリニカルエビデンス、infoPOEMsといったネット上で手軽に入手できる二次情報を利用しています。
これらはあまたの論文に対し、批判的吟味を施した上で、コメント付でわかりやすくかつ確かな情報を提供してくれます。
原著論文に当たる労力や、統計の知識も要らない大変便利なツールたちです。
たとえば、「ワーファリンの有効性」などの疑問は、慣れてくれば上記ウェブサイトで1分以内に解決文にたどり着けます。
何かと雑用の多い開業医にとってこれほどありがたいことはありません。
こうして得られたエビ(エビデンスのことをこう呼ぶ人もいる)を解答欄に書いておけば、同じ疑問が生じたとき、たとえば受診者の目の前でちょっとパソコンのその欄を見たりすることも可能です。
と、ここまでさらっと書きましたが、次のような疑念が当然渦巻きます。
すなわち「欧米人のデータがほとんどである」「EBMでは最大公約数的な情報しか得られず、各個人個人には適応できない」「大規模試験といえど信用できないものも多い」これらは機会あるごとに提起されたEBMに対する批判です。
一言で言えば、「目の前の患者にエビをどう適用するか」ということです。
最近このような批判疑念に対しては、「臨床上の意思決定には、エビだけでなくたくさんの要素が絡んでくる」という視点が重要なのだと考えるようになりました。
たとえばワーファリンの適応について考えてみます。
大規模試験などでは、ワーファリンを支持する知見が多くみられます。
しかし受診者の中には納豆が大好きでどうしてもワーファリンは飲みたくない方もおられるでしょう。
このような例では、すぐに結論を急がず、なるべく統計的な数字を言うのは避けて、お互いの合意点を見つけていくようにします。
また長島監督の事を見て、すぐにでも無条件に飲むという方もいるでしょう。
こうした方にはワーファリンの有効性とともに副作用についての情報をある程度の数字を提示しながら説明します。
より困難なのは、「耐糖能異常の女性へのスタチン」のようにはっきりしたエビがないときです。
こんなときはまずはっきりしたエビがないことを納得してもらいます。
このとき医者がわかってないのでなく、医学研究でわかってないということを強調することにしてます。
いずれの場合も大事なことは、受診者の理解度がどのくらいか常に意識しながら説明することです。
あれ?やっぱりまだモヤっとしていますでしょうか?実は私もなんです。
モヤっとの原因は下線をつけたところでしょうか?
それは下線の部分=「エビデンス語り」「エビデンス伝え」が,それこそ人さまざまでクリアカットに記述できないからにほかなりません。
結局「エビの適用」は聴診技術、冠動脈吻合の技術などと同じ、決して万人が手軽に体得できない「暗黙知」の領域だからだと思います。
エビを得るのは易し、伝える(使う)のは難し。
クックブックはそろっているが、エビ・スパイスの利かせ方は一人一人違わせざるをえない。EBMを知れば知るほど、マクドナルド医療から遠ざかっていきます。
EBMの元祖.D.L.Sackett曰く①専門技術②エビ③患者の好み、を統合せよ、とのことですが、そんな難しいこと簡単にできんわい!といいのが医療人みなの正直なところかと思われます。
そもそも説明、語りといったところはこれまで医療者が、個々のセンスの問題などとして、真剣に論じてこなかったところだと思われます。
1月に東京で開かれた全国規模のEBMセミナー(宮城からは私と大河原の河内先生が参加)でも如何にエビを伝えるかに話題が集中しました。
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利かせ方のレシピを共有したい。そこのところを投げ出さず、時々は皆で考える様にしたい。
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by dobashinaika
| 2005-02-01 08:00
| EBM
土橋内科医院の院長ブログです。心房細動やプライマリ・ケアに関連する医学論文の紹介もしくは知識整理を主な目的とします。時々日頃思うこともつぶやきます。
by dobashinaika
筆者は、2013年4月以降、ブログ内容に関連して開示すべき利益相反関係にある製薬企業はありません
●医療法人土橋内科医院
●日経メディカルオンライン連載「プライマリケア医のための心房細動入門リターンズ」
●ケアネット連載「Dr,小田倉の心房細動な日々〜ダイジェスト版〜」
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