休診・代診のお知らせ
●休診のお知らせ:3月21日(土)、学会出張のため休診いたします。
●代診のお知らせ:3月25日(水)午後3時から5時まで、院長不在となり、大学医師が担当いたします。
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by dobashinaika
| 2009-02-01 08:00
| インフォメーション
宮城保険医新聞 1354号 より
-診療所外来看護の新しい試み-
総合病院の専門医から開業医に転身して5年がたった。
私は病院時代および現在を通じて、一般的に外来看護に対して不満を持っていた。
すなわち看護師が本来の看護業務をしていないという点である。
とくに開業後の当院での看護師業務は、一日の大半を採血や検査に追われ、時に診察介助をするといったルーチン化した性格のものであった。
これは恐らく日本の診療所における看護のある程度の典型スタイルとも思われる。
そこには医師の私は言うのも僭越であるが、看護師本来の専門性が生かされていないように思われた。
そこで、当院では昨年からまず手始めに、心房細動の患者に対し、看護師による詳細なプロフィール評価を始めた。
心房細動患者の、家族歴、既往歴、家族構成、仕事内容、食事の嗜好などのほか、病気に関し何が知りたいのか、何が不安なのか、何が疑問なのか、また心房細動といわれてどんな気持ちがしたか、発作が起こると生活の上で具体的にどう支障があるのか、等々に関し、1時間程度かけてじっくり看護師が話を聞く時間を設けたのである。
その後徐々に対象を広げ、高血圧や糖尿病など生活習慣病全般の患者に対し初回または2回目の外来の際、完全予約制として、上記のような情報を看護師に収集してもらっている。
これらの情報は電子カルテに記入され、医師と看護師とで患者情報が共有される。
この試みは患者、医師、看護師3者それぞれに大きな効果をもたらした。
患者にとってはじっくり話が聞いてもらえる、特に不安や疑問を時間をかけて聞いてもらえることで満足感が増した。
医師にとっては、何よりワークシェアしたことで仕事が楽になり、また医師に直接言いにくいような患者の不安などを知りえるようになった。
そして看護師にとっては、患者に寄り添いケアするという本来の看護師の専門性が生かすことが少しであってもできるようになり、やりがいを感じられるようになっている。
上記外来を「健康増進外来」と名づけたが、これは岩手県の藤沢町民病院、佐藤元美先生による先進的な取り組みをモデルとしている。
同院では患者一人に担当看護師を付け、月1回継続的に一人の患者に上記のような傾聴共感を旨とする外来を実践している。
スタッフ教育、予約の問題等障壁もあるが、当院でもさらに上記のような取り組みを見習い発展させていきたいと考えている。
総合病院の専門医から開業医に転身して5年がたった。
私は病院時代および現在を通じて、一般的に外来看護に対して不満を持っていた。
すなわち看護師が本来の看護業務をしていないという点である。
とくに開業後の当院での看護師業務は、一日の大半を採血や検査に追われ、時に診察介助をするといったルーチン化した性格のものであった。
これは恐らく日本の診療所における看護のある程度の典型スタイルとも思われる。
そこには医師の私は言うのも僭越であるが、看護師本来の専門性が生かされていないように思われた。
そこで、当院では昨年からまず手始めに、心房細動の患者に対し、看護師による詳細なプロフィール評価を始めた。
心房細動患者の、家族歴、既往歴、家族構成、仕事内容、食事の嗜好などのほか、病気に関し何が知りたいのか、何が不安なのか、何が疑問なのか、また心房細動といわれてどんな気持ちがしたか、発作が起こると生活の上で具体的にどう支障があるのか、等々に関し、1時間程度かけてじっくり看護師が話を聞く時間を設けたのである。
その後徐々に対象を広げ、高血圧や糖尿病など生活習慣病全般の患者に対し初回または2回目の外来の際、完全予約制として、上記のような情報を看護師に収集してもらっている。
これらの情報は電子カルテに記入され、医師と看護師とで患者情報が共有される。
この試みは患者、医師、看護師3者それぞれに大きな効果をもたらした。
患者にとってはじっくり話が聞いてもらえる、特に不安や疑問を時間をかけて聞いてもらえることで満足感が増した。
医師にとっては、何よりワークシェアしたことで仕事が楽になり、また医師に直接言いにくいような患者の不安などを知りえるようになった。
そして看護師にとっては、患者に寄り添いケアするという本来の看護師の専門性が生かすことが少しであってもできるようになり、やりがいを感じられるようになっている。
上記外来を「健康増進外来」と名づけたが、これは岩手県の藤沢町民病院、佐藤元美先生による先進的な取り組みをモデルとしている。
同院では患者一人に担当看護師を付け、月1回継続的に一人の患者に上記のような傾聴共感を旨とする外来を実践している。
スタッフ教育、予約の問題等障壁もあるが、当院でもさらに上記のような取り組みを見習い発展させていきたいと考えている。
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by dobashinaika
| 2009-01-05 08:00
| 開業医生活
仙台市医師会報 平成21年1月号 より
健康増進外来-診療所型外来の新しい試み-
総合病院の専門医から開業医に転身して5年がたった。
この5年間を通じ、特に生活習慣病患者に対する外来診療において大きく3つの問題点が浮かび上がってきた。
すなわち、
①外来時間が短い。そして画一的な診療になりがちである。
②患者に対し指導型の外来になりがちである。
③看護師が本来の看護業務をしていない。 の3点である。
①は混雑した日などに顕著だが、じっくり患者の訴えが聞けず、患者の社会的心理的背景に心が配れず、通り一遍の問診と診察になりがちだということである。
そして治療がどうしても薬物療法中心となってしまう。
②は食事療法にしろ、運動療法にしろ、どうしても医師→患者への一方向的な「指導」になってしまうということである。
また薬物療法の選択にしてもEBMの錦の旗のもと、医師からの一方通行的な情報の提供に陥りやすい。
③は看護師の業務が採血、検査に著しく偏りがちであり、本来の「看護」の専門性が発揮しにくいということである。
これら3点は、多かれ少なかれ、今の日本の内科診療所のかかえる一般的な問題点とかなりの点でオーバーラップしていると思われる。
このような問題意識を抱えながら、マンネリズムを感じつつ日々の診療をしていた折、一昨年、あるきっかけで岩手県の藤沢町民病院での「健康増進外来」の活動を知る機会を得た。
同病院の佐藤元美院長が提唱し、同院スタッフが実践している試みはまさに私の目指すべき道の指針と思われ、私にとって一つの福音であった。
同院の見学を終え、当院スタッフの参画を得ながら、昨年から土橋内科版「健康増進外来」を開始した。
概要は次の通りである。
①生活習慣病患者を対象に午後4時から6時まで、一人約1時間の完全予約制。
②栄養士、看護師による患者プロフィール調査と「傾聴」を重視する面談。
③行動目標は患者が主体的に決める。
当院の「健康増進外来」では医療者の主役は看護士、栄養士である。
まず新患患者には、2回目外来において、家族歴、既往歴に限らず、仕事内容、食事施行、他院通院状況のほか、病気に対して知りたいこと、不安なこと、疑問点を看護師が時間をかけて聞く。
3回目以降は栄養学的視点に立った食事指導は必要に応じ行うが、あくまで「話を聞く」ことだけに徹することを心がけるようにした。
スタッフからはこまかな指導はほとんど行わず話を聞いて、共感するスタイルを目指している。そして毎回患者自身に行動変容の目標を立てるようにしてもらっている。
目標は「間食を1回分減らしましょう」といった簡潔なものである。
まだ実施して日が浅いが、患者にとってはじっくり話が聞いてもらえたという満足感、看護師にとっては本来の看護の専門性を取り戻したという充実感、医師にとっては何より指導型医療をしない分の負担減、という3者それぞれのメリットが大きいと考えている。
スタッフ教育が大きな壁ではあるが、今後さらに発展させた形を模索していきたいと考えている。
総合病院の専門医から開業医に転身して5年がたった。
この5年間を通じ、特に生活習慣病患者に対する外来診療において大きく3つの問題点が浮かび上がってきた。
すなわち、
①外来時間が短い。そして画一的な診療になりがちである。
②患者に対し指導型の外来になりがちである。
③看護師が本来の看護業務をしていない。 の3点である。
①は混雑した日などに顕著だが、じっくり患者の訴えが聞けず、患者の社会的心理的背景に心が配れず、通り一遍の問診と診察になりがちだということである。
そして治療がどうしても薬物療法中心となってしまう。
②は食事療法にしろ、運動療法にしろ、どうしても医師→患者への一方向的な「指導」になってしまうということである。
また薬物療法の選択にしてもEBMの錦の旗のもと、医師からの一方通行的な情報の提供に陥りやすい。
③は看護師の業務が採血、検査に著しく偏りがちであり、本来の「看護」の専門性が発揮しにくいということである。
これら3点は、多かれ少なかれ、今の日本の内科診療所のかかえる一般的な問題点とかなりの点でオーバーラップしていると思われる。
このような問題意識を抱えながら、マンネリズムを感じつつ日々の診療をしていた折、一昨年、あるきっかけで岩手県の藤沢町民病院での「健康増進外来」の活動を知る機会を得た。
同病院の佐藤元美院長が提唱し、同院スタッフが実践している試みはまさに私の目指すべき道の指針と思われ、私にとって一つの福音であった。
同院の見学を終え、当院スタッフの参画を得ながら、昨年から土橋内科版「健康増進外来」を開始した。
概要は次の通りである。
①生活習慣病患者を対象に午後4時から6時まで、一人約1時間の完全予約制。
②栄養士、看護師による患者プロフィール調査と「傾聴」を重視する面談。
③行動目標は患者が主体的に決める。
当院の「健康増進外来」では医療者の主役は看護士、栄養士である。
まず新患患者には、2回目外来において、家族歴、既往歴に限らず、仕事内容、食事施行、他院通院状況のほか、病気に対して知りたいこと、不安なこと、疑問点を看護師が時間をかけて聞く。
3回目以降は栄養学的視点に立った食事指導は必要に応じ行うが、あくまで「話を聞く」ことだけに徹することを心がけるようにした。
スタッフからはこまかな指導はほとんど行わず話を聞いて、共感するスタイルを目指している。そして毎回患者自身に行動変容の目標を立てるようにしてもらっている。
目標は「間食を1回分減らしましょう」といった簡潔なものである。
まだ実施して日が浅いが、患者にとってはじっくり話が聞いてもらえたという満足感、看護師にとっては本来の看護の専門性を取り戻したという充実感、医師にとっては何より指導型医療をしない分の負担減、という3者それぞれのメリットが大きいと考えている。
スタッフ教育が大きな壁ではあるが、今後さらに発展させた形を模索していきたいと考えている。
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by dobashinaika
| 2009-01-01 08:00
| 開業医生活
平成20年東北大学大学院医学系研究科病院管理学教室同窓会会報 より
-EBMとNBMのはざま-
以下は、ある診察室での医師と患者のやり取りである。
医師(以下D)「Pさん(患者)、心房細動という不整脈がありますね。これがあると脳卒中になる確率が普通の人より5倍くらい多いんですよ。○○監督や○○監督(実際には実名)がこの病気なんです。脳卒中を予防するにはワーファリンという血液を固まりにくくする薬を飲んだ方がいいです。飲めば脳卒中になる確率は普通の人より少し多いだけになりますよ。」
Pさん(以下P)「その薬は副作用がありますか?」
D「ええ。100人飲むと1年で1人くらいは胃とか脳からの出血があると言われています。そうならないようにきちんと外来に来てもらって、血を採って効き具合を確かめながら出します。」
P「ああ、出血とかするんですか。ほかの薬もたくさん飲んでるし、なんか飲みたくないですねえ。」
D「いや、副作用もありますが、脳卒中になりにくいというそれを上回るメリットがあるんですよ。たとえばPさんくらいのお歳でこの不整脈のある方でワーファリンを飲まないと100人中10人くらいの人が脳卒中になるのに対して、飲んだ人は...(これから延々こういった話が続いて)。。」
P「それでもやっぱりこわいから、やめときますわ。」
上記はいわゆるEBMの限界を示す事例としてよくお目にかかるような会話である。
いくらか脚色してはいるが、このような会話は私の医院でも頻繁に見られる。
ここ数年EBMは普及浸透した。
どこの学会に行ってもKaplan-Meier曲線のオンパレードである。
苦労しなくても何の薬にどんなエビデンスがあるかは簡単に入手できる。
ここ10年の間に医療従事者のdecision makingにおけるEBM占有率は確実に増加した。
しかしである。
長年に渡るエビデンスの蓄積、数々の生存曲線、各種媒体からのエビデンスの収集等々、それらのものは患者の「こわいから」の一言で一瞬に吹き飛んでしまう。
また、良かれと思って処方した薬でも、数年にわたって患者が確実に服用できる確率は驚くほど低いといわれている。
多くのEBM学習者は、日常臨床でいやというほどこのような経験をし、ナラティブの大切さに気付いていく。
ナラティブベイスドメディスン(NBM)は、上記のような事態に対し、「患者のナラティブ」を尊重することの大切さを教える。
ワーファリンとういう薬剤の生物学的効果だけを考えても不十分であること。
日々綿々と続く生活世界において、自分が薬を飲むことをどういうイメージでとらえているのか?薬がこわいから、という物語にどう介入してくべきか?といったことを問題視すること。
医療者の視点(ナラティブ)と患者のそれとのすり合わせをすること等々。
要素還元主義的医学教育に染まった医療者にとって、こうした視点は大変新鮮で魅力的だ。
ナラティブベイスドメディスン(NBM)は上記のようにEBMを補完するツールとして認識されてきた側面があるが、考えてみれば医療は患者との対話なくして成り立たないわけであり、とうの昔からNBMの視点は医療の本質たり続けていると考えることもできる。
多くの良心的医療者は、自身の臨床経験が深まり行くほどに、EBM的視点とNBM的視点の両者の重要性をあらためて実感するのである。
しかしである(2回目)。
これらの視点を持って医療にあたる場合の、無視できない克服困難な障壁がいくつも存在する。
ひとつは日本の医療システムである。
フリーアクセス、ローコストが特徴とされる医療現場、具体的には極めて短時間に多くの患者を診療しなければ経済的基盤を保持しえない医療者の事情があり、とくに患者のナラティブを聴取し共感する場合の妨げとなる。
「時間がなくてじっくり聞けない」のである。
心療内科、精神科専門施設がそうした事例に対応可能な施設として想定されるが、上記のように一般の内科診療、生活習慣病診療においても当然のことながらNBM的視点は医療現場での根幹をなすものである。
さらにもう一つの、そして上記よりさらに厄介な障壁は、医療者のナラティブである。
上記の会話の中で最後に「やっぱりやめときますわ」と患者が言った際の医療者のストレスを考えてみるとよい。
多くの医療者は、やはり要素還元主義的なものの考え方が細胞のすみずみに染みわたっており、生物学的あるいは病態生理学的論理をセントラルドグマに位置付けている。
いわゆる「医師アタマ」である。
丁寧にエビデンスを説明したつもりなのに、一瞬にしてその論理を患者から否定されれば、やはり「ムカつく」わけである。このムカつきの根源はかなり深いように思われる。
しかしである(3回目)。
現在の状況下でもこのような障壁は少しずつ克服していくべきであるし、方策がないわけではない。
例えば、診療時間は確かに短いが、その代わり患者はいつ受診してもよいし、月1~2回とかなり頻繁に受診できる。
今日、患者はこうしたことを言っていた、じゃあ今度の受診ではこういう風に話してみよう、という戦略が比較的短時間で建てられ実践できる。
日本医療の「アクセスのよさ」の強みである。
「薬を飲みたくない」と言わせる背景には、そもそも薬そのものに対する依存度、信頼度であるとか、知人で飲んだ人がいて副作用のことを聞いていたとか、さまざまな要素が絡み合っている。これを理解するのは一筋縄ではいかない極めて難しい課題かもしれない。
しかし何回も回数をかけてこれらの要素をゆっくり解きほぐしていける場合もあり、そのこと自体はプライマリケアにおける醍醐味とは言わないまでも、日々の診療のインセンティブとなるのではないだろうか?
もう一つ、医師アタマ克服対策。
これは確かに根深い問題だが、時間をかけた訓練で克服を試みるべきである。
これには「自分の感情を客観的に見るこころがけ」やグーリシャンたのいわゆる「無知の姿勢」すなわち「いったん医師の論理をカッコに入れて患者のナラティブに対する好奇心を持つようにするこころがけ」が必要である。
自分の感情を客観的に見られるか?という根本疑問はあるものの、繰り返しの訓練によって、上記の「ムカつき」感情はある程度コントロールできるようになるというのが最近の実感である。まあそれだけ年をとったからなのかもしれないが。
その際注意すべきなのは、よくある訴えとか、所詮理解不能だから先のばし、などと片付けて最初からニヒリズムに陥らないようにすることである。
それから、EBMの限界を知ることは、医師アタマを相対化させることにつながっている。
ワーファリンを飲めば絶対脳卒中を起こさない、とは決して言えない。
リスクが低下するだけである。
NNT=1という治療法は存在しないのであって、decision makingは他の治療との相対的なリスク減少をもとになされるにすぎない。
EBMを実践しようとするほどこの教えは実感となる。
エビデンスを絶対視しない態度につながり、私自身もEBMをひとつのオプションとしてとらえられるようになったと感じている。
EBMの普及からNBMの再評価へ。
この流れは医学教育あるいは医療界全般の流れかもしれないが、プライマリケアに従事してみて肌身で実感することでもある。
往診の現場での患者の置かれた環境、家族の思い、地域のいろいろなコミュニケーションの場などを見聞きするにつれて、「患者中心」という言葉が何となく空々しく感じられてくる。
患者でなく「生活者」と呼んだ方がしっくりくる。
日常を生きる生活者が時として患者の役割を演じている、その中で医療者がどう医療を提供していけばよいのか?そう考えながら診療したいと思う。
以下は、ある診察室での医師と患者のやり取りである。
医師(以下D)「Pさん(患者)、心房細動という不整脈がありますね。これがあると脳卒中になる確率が普通の人より5倍くらい多いんですよ。○○監督や○○監督(実際には実名)がこの病気なんです。脳卒中を予防するにはワーファリンという血液を固まりにくくする薬を飲んだ方がいいです。飲めば脳卒中になる確率は普通の人より少し多いだけになりますよ。」
Pさん(以下P)「その薬は副作用がありますか?」
D「ええ。100人飲むと1年で1人くらいは胃とか脳からの出血があると言われています。そうならないようにきちんと外来に来てもらって、血を採って効き具合を確かめながら出します。」
P「ああ、出血とかするんですか。ほかの薬もたくさん飲んでるし、なんか飲みたくないですねえ。」
D「いや、副作用もありますが、脳卒中になりにくいというそれを上回るメリットがあるんですよ。たとえばPさんくらいのお歳でこの不整脈のある方でワーファリンを飲まないと100人中10人くらいの人が脳卒中になるのに対して、飲んだ人は...(これから延々こういった話が続いて)。。」
P「それでもやっぱりこわいから、やめときますわ。」
上記はいわゆるEBMの限界を示す事例としてよくお目にかかるような会話である。
いくらか脚色してはいるが、このような会話は私の医院でも頻繁に見られる。
ここ数年EBMは普及浸透した。
どこの学会に行ってもKaplan-Meier曲線のオンパレードである。
苦労しなくても何の薬にどんなエビデンスがあるかは簡単に入手できる。
ここ10年の間に医療従事者のdecision makingにおけるEBM占有率は確実に増加した。
しかしである。
長年に渡るエビデンスの蓄積、数々の生存曲線、各種媒体からのエビデンスの収集等々、それらのものは患者の「こわいから」の一言で一瞬に吹き飛んでしまう。
また、良かれと思って処方した薬でも、数年にわたって患者が確実に服用できる確率は驚くほど低いといわれている。
多くのEBM学習者は、日常臨床でいやというほどこのような経験をし、ナラティブの大切さに気付いていく。
ナラティブベイスドメディスン(NBM)は、上記のような事態に対し、「患者のナラティブ」を尊重することの大切さを教える。
ワーファリンとういう薬剤の生物学的効果だけを考えても不十分であること。
日々綿々と続く生活世界において、自分が薬を飲むことをどういうイメージでとらえているのか?薬がこわいから、という物語にどう介入してくべきか?といったことを問題視すること。
医療者の視点(ナラティブ)と患者のそれとのすり合わせをすること等々。
要素還元主義的医学教育に染まった医療者にとって、こうした視点は大変新鮮で魅力的だ。
ナラティブベイスドメディスン(NBM)は上記のようにEBMを補完するツールとして認識されてきた側面があるが、考えてみれば医療は患者との対話なくして成り立たないわけであり、とうの昔からNBMの視点は医療の本質たり続けていると考えることもできる。
多くの良心的医療者は、自身の臨床経験が深まり行くほどに、EBM的視点とNBM的視点の両者の重要性をあらためて実感するのである。
しかしである(2回目)。
これらの視点を持って医療にあたる場合の、無視できない克服困難な障壁がいくつも存在する。
ひとつは日本の医療システムである。
フリーアクセス、ローコストが特徴とされる医療現場、具体的には極めて短時間に多くの患者を診療しなければ経済的基盤を保持しえない医療者の事情があり、とくに患者のナラティブを聴取し共感する場合の妨げとなる。
「時間がなくてじっくり聞けない」のである。
心療内科、精神科専門施設がそうした事例に対応可能な施設として想定されるが、上記のように一般の内科診療、生活習慣病診療においても当然のことながらNBM的視点は医療現場での根幹をなすものである。
さらにもう一つの、そして上記よりさらに厄介な障壁は、医療者のナラティブである。
上記の会話の中で最後に「やっぱりやめときますわ」と患者が言った際の医療者のストレスを考えてみるとよい。
多くの医療者は、やはり要素還元主義的なものの考え方が細胞のすみずみに染みわたっており、生物学的あるいは病態生理学的論理をセントラルドグマに位置付けている。
いわゆる「医師アタマ」である。
丁寧にエビデンスを説明したつもりなのに、一瞬にしてその論理を患者から否定されれば、やはり「ムカつく」わけである。このムカつきの根源はかなり深いように思われる。
しかしである(3回目)。
現在の状況下でもこのような障壁は少しずつ克服していくべきであるし、方策がないわけではない。
例えば、診療時間は確かに短いが、その代わり患者はいつ受診してもよいし、月1~2回とかなり頻繁に受診できる。
今日、患者はこうしたことを言っていた、じゃあ今度の受診ではこういう風に話してみよう、という戦略が比較的短時間で建てられ実践できる。
日本医療の「アクセスのよさ」の強みである。
「薬を飲みたくない」と言わせる背景には、そもそも薬そのものに対する依存度、信頼度であるとか、知人で飲んだ人がいて副作用のことを聞いていたとか、さまざまな要素が絡み合っている。これを理解するのは一筋縄ではいかない極めて難しい課題かもしれない。
しかし何回も回数をかけてこれらの要素をゆっくり解きほぐしていける場合もあり、そのこと自体はプライマリケアにおける醍醐味とは言わないまでも、日々の診療のインセンティブとなるのではないだろうか?
もう一つ、医師アタマ克服対策。
これは確かに根深い問題だが、時間をかけた訓練で克服を試みるべきである。
これには「自分の感情を客観的に見るこころがけ」やグーリシャンたのいわゆる「無知の姿勢」すなわち「いったん医師の論理をカッコに入れて患者のナラティブに対する好奇心を持つようにするこころがけ」が必要である。
自分の感情を客観的に見られるか?という根本疑問はあるものの、繰り返しの訓練によって、上記の「ムカつき」感情はある程度コントロールできるようになるというのが最近の実感である。まあそれだけ年をとったからなのかもしれないが。
その際注意すべきなのは、よくある訴えとか、所詮理解不能だから先のばし、などと片付けて最初からニヒリズムに陥らないようにすることである。
それから、EBMの限界を知ることは、医師アタマを相対化させることにつながっている。
ワーファリンを飲めば絶対脳卒中を起こさない、とは決して言えない。
リスクが低下するだけである。
NNT=1という治療法は存在しないのであって、decision makingは他の治療との相対的なリスク減少をもとになされるにすぎない。
EBMを実践しようとするほどこの教えは実感となる。
エビデンスを絶対視しない態度につながり、私自身もEBMをひとつのオプションとしてとらえられるようになったと感じている。
EBMの普及からNBMの再評価へ。
この流れは医学教育あるいは医療界全般の流れかもしれないが、プライマリケアに従事してみて肌身で実感することでもある。
往診の現場での患者の置かれた環境、家族の思い、地域のいろいろなコミュニケーションの場などを見聞きするにつれて、「患者中心」という言葉が何となく空々しく感じられてくる。
患者でなく「生活者」と呼んだ方がしっくりくる。
日常を生きる生活者が時として患者の役割を演じている、その中で医療者がどう医療を提供していけばよいのか?そう考えながら診療したいと思う。
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by dobashinaika
| 2008-03-01 08:00
| EBM
平成19年東北大学大学院医学系研究科病院管理学教室同窓会会報 より
-PDAから手帳へ-
勤務医から開業医に転身し、何もかもが私にとって変化したが、開業3年目にしてはじめて、大きく変化したことがある。
それまで愛用していたPDAを手放し、普通の手帳に回帰したことである。
勤務医時代にSONYのクリエ→SHARPのザウルスとずっと電子手帳の恩恵を受けてきた。
勤務医時代最も役立ったのは、「今日の治療薬」「UpToDate」などの医療知識を本を広げることなく入手できることであった。
しかしいまやそれも必要ない。
ほぼ一日中診察室の椅子に座っての生活であるから、デスクトップパソコンで事が足り、PDAの手軽さは必要ないのである。
変わりに、何かにつけメモをする作業が多くなった。
問診をしているとき、身体所見をとっているとき、臨床上のいろんな疑問がわいてくる。
また突如保健医療上の問題点に気づくこともある。
そのようなときPDAにスタイラスで記入するのは大変労力がいる。
やはりすばやく物事を書き取るのは、ペンに紙なのである。
これはデジタルツールとアナログツールという好みの問題ではない。
何か他の媒体に自分の頭に浮かんだ物を残しておく、そうした知的欲求が生じやすい環境には、手帳が適合しやすいということである。
思えば、勤務医時代はそのような欲求が生じる余裕も時間もなかった。
ひたすら目の前の現象(患者)に、いかに効率的に反応するかというすべを、強要されるような環境なのである。
そのような環境では、すばやく知識の断片が得られる電子機器はお手軽で便利である。
しかしながら、ゆっくり自分のアイディアや考えを残す、まとめるといった作業には向かない。
情報のアウトプットには手帳、インプットにはPDAが適する、ということだろうか。
勤務医がなだれを打って開業医に転身する時勢であるが、情報を手際よく受け止めすばやく反応せざるを得ない場面の連続、上記の文脈で言えば、PDAフレンドリーな作業環境に、皆が疲れているのではあるまいか。
ゆっくり頭の中を整理する、自分の感情も含めて何らかの形で外に出す、そうした脳内のもやもやを吐き出す作業に費やす時間も余裕もない。
そうした肉体的だけでなく知的にも殺伐とした状況に多くの勤務医が置かれている。
われわれは知恵を出し合って、こうしたPDA的脊髄反射的環境から手帳的大脳皮質的環境へと勤務医を含めたすべての医療従事者を解放する手立てを考える必要がある。
かく言う私はと言えば、散々悩んだ挙句システム手帳を買って使ってはいるものの、すぐに新製品のイーモバイルが気になって買うか買うまいかで夜も眠れないといった状況である。
やっぱり今になっても脊髄反射的生活からなかなか脱却できないでいるのである。
勤務医から開業医に転身し、何もかもが私にとって変化したが、開業3年目にしてはじめて、大きく変化したことがある。
それまで愛用していたPDAを手放し、普通の手帳に回帰したことである。
勤務医時代にSONYのクリエ→SHARPのザウルスとずっと電子手帳の恩恵を受けてきた。
勤務医時代最も役立ったのは、「今日の治療薬」「UpToDate」などの医療知識を本を広げることなく入手できることであった。
しかしいまやそれも必要ない。
ほぼ一日中診察室の椅子に座っての生活であるから、デスクトップパソコンで事が足り、PDAの手軽さは必要ないのである。
変わりに、何かにつけメモをする作業が多くなった。
問診をしているとき、身体所見をとっているとき、臨床上のいろんな疑問がわいてくる。
また突如保健医療上の問題点に気づくこともある。
そのようなときPDAにスタイラスで記入するのは大変労力がいる。
やはりすばやく物事を書き取るのは、ペンに紙なのである。
これはデジタルツールとアナログツールという好みの問題ではない。
何か他の媒体に自分の頭に浮かんだ物を残しておく、そうした知的欲求が生じやすい環境には、手帳が適合しやすいということである。
思えば、勤務医時代はそのような欲求が生じる余裕も時間もなかった。
ひたすら目の前の現象(患者)に、いかに効率的に反応するかというすべを、強要されるような環境なのである。
そのような環境では、すばやく知識の断片が得られる電子機器はお手軽で便利である。
しかしながら、ゆっくり自分のアイディアや考えを残す、まとめるといった作業には向かない。
情報のアウトプットには手帳、インプットにはPDAが適する、ということだろうか。
勤務医がなだれを打って開業医に転身する時勢であるが、情報を手際よく受け止めすばやく反応せざるを得ない場面の連続、上記の文脈で言えば、PDAフレンドリーな作業環境に、皆が疲れているのではあるまいか。
ゆっくり頭の中を整理する、自分の感情も含めて何らかの形で外に出す、そうした脳内のもやもやを吐き出す作業に費やす時間も余裕もない。
そうした肉体的だけでなく知的にも殺伐とした状況に多くの勤務医が置かれている。
われわれは知恵を出し合って、こうしたPDA的脊髄反射的環境から手帳的大脳皮質的環境へと勤務医を含めたすべての医療従事者を解放する手立てを考える必要がある。
かく言う私はと言えば、散々悩んだ挙句システム手帳を買って使ってはいるものの、すぐに新製品のイーモバイルが気になって買うか買うまいかで夜も眠れないといった状況である。
やっぱり今になっても脊髄反射的生活からなかなか脱却できないでいるのである。
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by dobashinaika
| 2007-03-01 08:00
| 開業医生活
土橋内科医院の院長ブログです。心房細動やプライマリ・ケアに関連する医学論文の紹介もしくは知識整理を主な目的とします。時々日頃思うこともつぶやきます。
by dobashinaika
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筆者は、2013年4月以降、ブログ内容に関連して開示すべき利益相反関係にある製薬企業はありません
●医療法人土橋内科医院
●日経メディカルオンライン連載「プライマリケア医のための心房細動入門リターンズ」
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