平成20年東北大学大学院医学系研究科病院管理学教室同窓会会報 より
-EBMとNBMのはざま-
以下は、ある診察室での医師と患者のやり取りである。
医師(以下D)「Pさん(患者)、心房細動という不整脈がありますね。これがあると脳卒中になる確率が普通の人より5倍くらい多いんですよ。○○監督や○○監督(実際には実名)がこの病気なんです。脳卒中を予防するにはワーファリンという血液を固まりにくくする薬を飲んだ方がいいです。飲めば脳卒中になる確率は普通の人より少し多いだけになりますよ。」
Pさん(以下P)「その薬は副作用がありますか?」
D「ええ。100人飲むと1年で1人くらいは胃とか脳からの出血があると言われています。そうならないようにきちんと外来に来てもらって、血を採って効き具合を確かめながら出します。」
P「ああ、出血とかするんですか。ほかの薬もたくさん飲んでるし、なんか飲みたくないですねえ。」
D「いや、副作用もありますが、脳卒中になりにくいというそれを上回るメリットがあるんですよ。たとえばPさんくらいのお歳でこの不整脈のある方でワーファリンを飲まないと100人中10人くらいの人が脳卒中になるのに対して、飲んだ人は...(これから延々こういった話が続いて)。。」
P「それでもやっぱりこわいから、やめときますわ。」
上記はいわゆるEBMの限界を示す事例としてよくお目にかかるような会話である。
いくらか脚色してはいるが、このような会話は私の医院でも頻繁に見られる。
ここ数年EBMは普及浸透した。
どこの学会に行ってもKaplan-Meier曲線のオンパレードである。
苦労しなくても何の薬にどんなエビデンスがあるかは簡単に入手できる。
ここ10年の間に医療従事者のdecision makingにおけるEBM占有率は確実に増加した。
しかしである。
長年に渡るエビデンスの蓄積、数々の生存曲線、各種媒体からのエビデンスの収集等々、それらのものは患者の「こわいから」の一言で一瞬に吹き飛んでしまう。
また、良かれと思って処方した薬でも、数年にわたって患者が確実に服用できる確率は驚くほど低いといわれている。
多くのEBM学習者は、日常臨床でいやというほどこのような経験をし、ナラティブの大切さに気付いていく。
ナラティブベイスドメディスン(NBM)は、上記のような事態に対し、「患者のナラティブ」を尊重することの大切さを教える。
ワーファリンとういう薬剤の生物学的効果だけを考えても不十分であること。
日々綿々と続く生活世界において、自分が薬を飲むことをどういうイメージでとらえているのか?薬がこわいから、という物語にどう介入してくべきか?といったことを問題視すること。
医療者の視点(ナラティブ)と患者のそれとのすり合わせをすること等々。
要素還元主義的医学教育に染まった医療者にとって、こうした視点は大変新鮮で魅力的だ。
ナラティブベイスドメディスン(NBM)は上記のようにEBMを補完するツールとして認識されてきた側面があるが、考えてみれば医療は患者との対話なくして成り立たないわけであり、とうの昔からNBMの視点は医療の本質たり続けていると考えることもできる。
多くの良心的医療者は、自身の臨床経験が深まり行くほどに、EBM的視点とNBM的視点の両者の重要性をあらためて実感するのである。
しかしである(2回目)。
これらの視点を持って医療にあたる場合の、無視できない克服困難な障壁がいくつも存在する。
ひとつは日本の医療システムである。
フリーアクセス、ローコストが特徴とされる医療現場、具体的には極めて短時間に多くの患者を診療しなければ経済的基盤を保持しえない医療者の事情があり、とくに患者のナラティブを聴取し共感する場合の妨げとなる。
「時間がなくてじっくり聞けない」のである。
心療内科、精神科専門施設がそうした事例に対応可能な施設として想定されるが、上記のように一般の内科診療、生活習慣病診療においても当然のことながらNBM的視点は医療現場での根幹をなすものである。
さらにもう一つの、そして上記よりさらに厄介な障壁は、医療者のナラティブである。
上記の会話の中で最後に「やっぱりやめときますわ」と患者が言った際の医療者のストレスを考えてみるとよい。
多くの医療者は、やはり要素還元主義的なものの考え方が細胞のすみずみに染みわたっており、生物学的あるいは病態生理学的論理をセントラルドグマに位置付けている。
いわゆる「医師アタマ」である。
丁寧にエビデンスを説明したつもりなのに、一瞬にしてその論理を患者から否定されれば、やはり「ムカつく」わけである。このムカつきの根源はかなり深いように思われる。
しかしである(3回目)。
現在の状況下でもこのような障壁は少しずつ克服していくべきであるし、方策がないわけではない。
例えば、診療時間は確かに短いが、その代わり患者はいつ受診してもよいし、月1~2回とかなり頻繁に受診できる。
今日、患者はこうしたことを言っていた、じゃあ今度の受診ではこういう風に話してみよう、という戦略が比較的短時間で建てられ実践できる。
日本医療の「アクセスのよさ」の強みである。
「薬を飲みたくない」と言わせる背景には、そもそも薬そのものに対する依存度、信頼度であるとか、知人で飲んだ人がいて副作用のことを聞いていたとか、さまざまな要素が絡み合っている。これを理解するのは一筋縄ではいかない極めて難しい課題かもしれない。
しかし何回も回数をかけてこれらの要素をゆっくり解きほぐしていける場合もあり、そのこと自体はプライマリケアにおける醍醐味とは言わないまでも、日々の診療のインセンティブとなるのではないだろうか?
もう一つ、医師アタマ克服対策。
これは確かに根深い問題だが、時間をかけた訓練で克服を試みるべきである。
これには「自分の感情を客観的に見るこころがけ」やグーリシャンたのいわゆる「無知の姿勢」すなわち「いったん医師の論理をカッコに入れて患者のナラティブに対する好奇心を持つようにするこころがけ」が必要である。
自分の感情を客観的に見られるか?という根本疑問はあるものの、繰り返しの訓練によって、上記の「ムカつき」感情はある程度コントロールできるようになるというのが最近の実感である。まあそれだけ年をとったからなのかもしれないが。
その際注意すべきなのは、よくある訴えとか、所詮理解不能だから先のばし、などと片付けて最初からニヒリズムに陥らないようにすることである。
それから、EBMの限界を知ることは、医師アタマを相対化させることにつながっている。
ワーファリンを飲めば絶対脳卒中を起こさない、とは決して言えない。
リスクが低下するだけである。
NNT=1という治療法は存在しないのであって、decision makingは他の治療との相対的なリスク減少をもとになされるにすぎない。
EBMを実践しようとするほどこの教えは実感となる。
エビデンスを絶対視しない態度につながり、私自身もEBMをひとつのオプションとしてとらえられるようになったと感じている。
EBMの普及からNBMの再評価へ。
この流れは医学教育あるいは医療界全般の流れかもしれないが、プライマリケアに従事してみて肌身で実感することでもある。
往診の現場での患者の置かれた環境、家族の思い、地域のいろいろなコミュニケーションの場などを見聞きするにつれて、「患者中心」という言葉が何となく空々しく感じられてくる。
患者でなく「生活者」と呼んだ方がしっくりくる。
日常を生きる生活者が時として患者の役割を演じている、その中で医療者がどう医療を提供していけばよいのか?そう考えながら診療したいと思う。
以下は、ある診察室での医師と患者のやり取りである。
医師(以下D)「Pさん(患者)、心房細動という不整脈がありますね。これがあると脳卒中になる確率が普通の人より5倍くらい多いんですよ。○○監督や○○監督(実際には実名)がこの病気なんです。脳卒中を予防するにはワーファリンという血液を固まりにくくする薬を飲んだ方がいいです。飲めば脳卒中になる確率は普通の人より少し多いだけになりますよ。」
Pさん(以下P)「その薬は副作用がありますか?」
D「ええ。100人飲むと1年で1人くらいは胃とか脳からの出血があると言われています。そうならないようにきちんと外来に来てもらって、血を採って効き具合を確かめながら出します。」
P「ああ、出血とかするんですか。ほかの薬もたくさん飲んでるし、なんか飲みたくないですねえ。」
D「いや、副作用もありますが、脳卒中になりにくいというそれを上回るメリットがあるんですよ。たとえばPさんくらいのお歳でこの不整脈のある方でワーファリンを飲まないと100人中10人くらいの人が脳卒中になるのに対して、飲んだ人は...(これから延々こういった話が続いて)。。」
P「それでもやっぱりこわいから、やめときますわ。」
上記はいわゆるEBMの限界を示す事例としてよくお目にかかるような会話である。
いくらか脚色してはいるが、このような会話は私の医院でも頻繁に見られる。
ここ数年EBMは普及浸透した。
どこの学会に行ってもKaplan-Meier曲線のオンパレードである。
苦労しなくても何の薬にどんなエビデンスがあるかは簡単に入手できる。
ここ10年の間に医療従事者のdecision makingにおけるEBM占有率は確実に増加した。
しかしである。
長年に渡るエビデンスの蓄積、数々の生存曲線、各種媒体からのエビデンスの収集等々、それらのものは患者の「こわいから」の一言で一瞬に吹き飛んでしまう。
また、良かれと思って処方した薬でも、数年にわたって患者が確実に服用できる確率は驚くほど低いといわれている。
多くのEBM学習者は、日常臨床でいやというほどこのような経験をし、ナラティブの大切さに気付いていく。
ナラティブベイスドメディスン(NBM)は、上記のような事態に対し、「患者のナラティブ」を尊重することの大切さを教える。
ワーファリンとういう薬剤の生物学的効果だけを考えても不十分であること。
日々綿々と続く生活世界において、自分が薬を飲むことをどういうイメージでとらえているのか?薬がこわいから、という物語にどう介入してくべきか?といったことを問題視すること。
医療者の視点(ナラティブ)と患者のそれとのすり合わせをすること等々。
要素還元主義的医学教育に染まった医療者にとって、こうした視点は大変新鮮で魅力的だ。
ナラティブベイスドメディスン(NBM)は上記のようにEBMを補完するツールとして認識されてきた側面があるが、考えてみれば医療は患者との対話なくして成り立たないわけであり、とうの昔からNBMの視点は医療の本質たり続けていると考えることもできる。
多くの良心的医療者は、自身の臨床経験が深まり行くほどに、EBM的視点とNBM的視点の両者の重要性をあらためて実感するのである。
しかしである(2回目)。
これらの視点を持って医療にあたる場合の、無視できない克服困難な障壁がいくつも存在する。
ひとつは日本の医療システムである。
フリーアクセス、ローコストが特徴とされる医療現場、具体的には極めて短時間に多くの患者を診療しなければ経済的基盤を保持しえない医療者の事情があり、とくに患者のナラティブを聴取し共感する場合の妨げとなる。
「時間がなくてじっくり聞けない」のである。
心療内科、精神科専門施設がそうした事例に対応可能な施設として想定されるが、上記のように一般の内科診療、生活習慣病診療においても当然のことながらNBM的視点は医療現場での根幹をなすものである。
さらにもう一つの、そして上記よりさらに厄介な障壁は、医療者のナラティブである。
上記の会話の中で最後に「やっぱりやめときますわ」と患者が言った際の医療者のストレスを考えてみるとよい。
多くの医療者は、やはり要素還元主義的なものの考え方が細胞のすみずみに染みわたっており、生物学的あるいは病態生理学的論理をセントラルドグマに位置付けている。
いわゆる「医師アタマ」である。
丁寧にエビデンスを説明したつもりなのに、一瞬にしてその論理を患者から否定されれば、やはり「ムカつく」わけである。このムカつきの根源はかなり深いように思われる。
しかしである(3回目)。
現在の状況下でもこのような障壁は少しずつ克服していくべきであるし、方策がないわけではない。
例えば、診療時間は確かに短いが、その代わり患者はいつ受診してもよいし、月1~2回とかなり頻繁に受診できる。
今日、患者はこうしたことを言っていた、じゃあ今度の受診ではこういう風に話してみよう、という戦略が比較的短時間で建てられ実践できる。
日本医療の「アクセスのよさ」の強みである。
「薬を飲みたくない」と言わせる背景には、そもそも薬そのものに対する依存度、信頼度であるとか、知人で飲んだ人がいて副作用のことを聞いていたとか、さまざまな要素が絡み合っている。これを理解するのは一筋縄ではいかない極めて難しい課題かもしれない。
しかし何回も回数をかけてこれらの要素をゆっくり解きほぐしていける場合もあり、そのこと自体はプライマリケアにおける醍醐味とは言わないまでも、日々の診療のインセンティブとなるのではないだろうか?
もう一つ、医師アタマ克服対策。
これは確かに根深い問題だが、時間をかけた訓練で克服を試みるべきである。
これには「自分の感情を客観的に見るこころがけ」やグーリシャンたのいわゆる「無知の姿勢」すなわち「いったん医師の論理をカッコに入れて患者のナラティブに対する好奇心を持つようにするこころがけ」が必要である。
自分の感情を客観的に見られるか?という根本疑問はあるものの、繰り返しの訓練によって、上記の「ムカつき」感情はある程度コントロールできるようになるというのが最近の実感である。まあそれだけ年をとったからなのかもしれないが。
その際注意すべきなのは、よくある訴えとか、所詮理解不能だから先のばし、などと片付けて最初からニヒリズムに陥らないようにすることである。
それから、EBMの限界を知ることは、医師アタマを相対化させることにつながっている。
ワーファリンを飲めば絶対脳卒中を起こさない、とは決して言えない。
リスクが低下するだけである。
NNT=1という治療法は存在しないのであって、decision makingは他の治療との相対的なリスク減少をもとになされるにすぎない。
EBMを実践しようとするほどこの教えは実感となる。
エビデンスを絶対視しない態度につながり、私自身もEBMをひとつのオプションとしてとらえられるようになったと感じている。
EBMの普及からNBMの再評価へ。
この流れは医学教育あるいは医療界全般の流れかもしれないが、プライマリケアに従事してみて肌身で実感することでもある。
往診の現場での患者の置かれた環境、家族の思い、地域のいろいろなコミュニケーションの場などを見聞きするにつれて、「患者中心」という言葉が何となく空々しく感じられてくる。
患者でなく「生活者」と呼んだ方がしっくりくる。
日常を生きる生活者が時として患者の役割を演じている、その中で医療者がどう医療を提供していけばよいのか?そう考えながら診療したいと思う。
by dobashinaika
| 2008-03-01 08:00
| EBM
土橋内科医院の院長ブログです。心房細動やプライマリ・ケアに関連する医学論文の紹介もしくは知識整理を主な目的とします。時々日頃思うこともつぶやきます。
by dobashinaika
S | M | T | W | T | F | S |
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | ||
6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 |
20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 |
27 | 28 | 29 | 30 | 31 |
筆者は、2013年4月以降、ブログ内容に関連して開示すべき利益相反関係にある製薬企業はありません
●医療法人土橋内科医院
●日経メディカルオンライン連載「プライマリケア医のための心房細動入門リターンズ」
●ケアネット連載「Dr,小田倉の心房細動な日々〜ダイジェスト版〜」
●医療法人土橋内科医院
●日経メディカルオンライン連載「プライマリケア医のための心房細動入門リターンズ」
●ケアネット連載「Dr,小田倉の心房細動な日々〜ダイジェスト版〜」
カテゴリ
全体インフォメーション
医者が患者になった時
患者さん向けパンフレット
心房細動診療:根本原理
心房細動:重要論文リンク集
心房細動:疫学・リスク因子
心房細動:診断
抗凝固療法:全般
抗凝固療法:リアルワールドデータ
抗凝固療法:凝固系基礎知識
抗凝固療法:ガイドライン
抗凝固療法:各スコア一覧
抗凝固療法:抜歯、内視鏡、手術
抗凝固療法:適応、スコア評価
抗凝固療法:比較、使い分け
抗凝固療法:中和方法
抗凝固療法:抗血小板薬併用
脳卒中後
抗凝固療法:患者さん用パンフ
抗凝固療法:ワーファリン
抗凝固療法:ダビガトラン
抗凝固療法:リバーロキサバン
抗凝固療法:アピキサバン
抗凝固療法:エドキサバン
心房細動:アブレーション
心房細動:左心耳デバイス
心房細動:ダウンストリーム治療
心房細動:アップストリーム治療
心室性不整脈
Brugada症候群
心臓突然死
不整脈全般
リスク/意思決定
医療の問題
EBM
開業医生活
心理社会学的アプローチ
土橋内科医院
土橋通り界隈
開業医の勉強
感染症
音楽、美術など
虚血性心疾患
内分泌・甲状腺
循環器疾患その他
土橋EBM教室
寺子屋勉強会
ペースメーカー友の会
新型インフルエンザ
3.11
Covid-19
未分類
タグ
日本人(44)ケアネット(40)
どばし健康カフェ(35)
高齢者(32)
リバーロキサバン(29)
リアルワールド(28)
新規抗凝固薬(25)
ガイドライン(25)
ダビガトラン(24)
アドヒアランス(23)
CHA2DS2-VAScスコア(21)
ワルファリン(21)
共病記(20)
ESC(20)
心不全(19)
カテーテルアブレーション(18)
無症候性心房細動(14)
認知症(14)
頭蓋内出血(13)
消化管出血(13)
ブログパーツ
ライフログ
著作
プライマリ・ケア医のための心房細動入門 全面改訂版
編集
最近読んだ本
最新の記事
ヨーロッパ心臓病学会の新しい.. |
at 2024-09-01 23:53 |
心房細動とHFrEF:昔から.. |
at 2024-08-18 21:39 |
AF burden :新たな.. |
at 2024-08-15 14:46 |
高齢の心房細動患者における2.. |
at 2024-06-25 07:25 |
2024年JCS/JHRS不.. |
at 2024-03-21 22:45 |
日本独自の新しい心房細動脳梗.. |
at 2024-03-17 22:31 |
心房細動診療に残された大きな.. |
at 2024-01-03 23:00 |
東日本大震災と熊本地震におけ.. |
at 2024-01-02 16:11 |
脳梗塞発症後の心房細動患者に.. |
at 2024-01-01 18:41 |
ACC/AHAなどから202.. |
at 2023-12-10 23:12 |
検索
記事ランキング
最新のコメント
血栓の生成過程が理解でき.. |
by 河田 at 10:08 |
コメントありがとうござい.. |
by dobashinaika at 06:41 |
突然のコメント失礼致しま.. |
by シマダ at 21:13 |
小田倉先生、はじめまして.. |
by 出口 智基 at 17:11 |
ワーファリンについてのブ.. |
by さすけ at 23:46 |
いつもブログ拝見しており.. |
by さすらい at 16:25 |
いつもブログ拝見しており.. |
by さすらい at 16:25 |
取り上げていただきありが.. |
by 大塚俊哉 at 09:53 |
> 11さん ありがと.. |
by dobashinaika at 03:12 |
「とつぜんし」が・・・・.. |
by 11 at 07:29 |
以前の記事
2024年 09月2024年 08月
2024年 06月
2024年 03月
2024年 01月
2023年 12月
2023年 11月
2023年 08月
2023年 06月
2023年 04月
2023年 03月
2023年 02月
2023年 01月
2022年 12月
2022年 10月
2022年 09月
2022年 08月
2022年 06月
2022年 05月
2022年 04月
2022年 03月
2022年 02月
2022年 01月
2021年 09月
2021年 08月
2021年 07月
2021年 06月
2021年 05月
2021年 04月
2021年 03月
2021年 02月
2021年 01月
2020年 12月
2020年 11月
2020年 10月
2020年 09月
2020年 08月
2020年 07月
2020年 06月
2020年 05月
2020年 03月
2020年 02月
2020年 01月
2019年 12月
2019年 11月
2019年 10月
2019年 09月
2019年 08月
2019年 07月
2019年 06月
2019年 05月
2019年 04月
2019年 03月
2019年 02月
2019年 01月
2018年 12月
2018年 11月
2018年 10月
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 03月
2007年 03月
2006年 03月
2005年 08月
2005年 02月
2005年 01月