病いのギャップ(第2回) 〜シミュレーション自己とリアル自己とのギャップに関する考察〜
<回復期 ジャンプアップ>
それから約一週間,幸いにもカテーテル治療を行うことなく,ようやく症状が安定する兆しを見せ,画像診断でも進行のないことが確認されたました。この1週間シミュNとのギャップにおびえる日々だっかといえばそうではなく,めまい(のひどい身体)が自己全体を支配する時間(図1C)が多く,ギャップを考える余裕さえなかったのが本当のところでした。
そして発症7日後当たりから病室でのリハが始まりました。ベッドサイドに理学療法士の先生が来られ,まずベッドサイドで足を下に下ろすことから始まりました。頭を起こしからだを横に向けて足を下に下ろす。そして両手を体の脇におき,両手を伸ばしながら腰を上げてみる。
「小田倉さん,立てたじゃないですか」
先生が驚いたような感じで言われたその言葉,その瞬間をわたしは多分死ぬまで忘れないと思います。実はこの日(8月15日だったことも覚えています),朝起きたときもめまいと疲労感が強く,あと1周間はこんな感じなのかなと落胆していたのでした。
ところがリハの先生はあっさりと「ベッドの脇に座ってみましょう」「そのまま足に力を入れて腰を浮かせてみましょう」と言われました。
この一連の動作の中で,たぶんわたしの「自由意志」みたいなものは微塵もなく,なにか別の存在がわたしを動かした,いわば遠隔操作されたようなこれまで経験したことのない感覚を味わいました。「立った」と言うより,「立たされた」あるいは「気がついたら立っている身体があった」ーそんな感じでした。そしてかだらが軽い! 軽いというより「重さがない」ような,要するに自分でありながら自分の身体でない感覚。リアル身体なのに同時にシミュレーションされた身体のような感覚。これまで味わったことのない身体感覚でした。
そうした不思議な感覚をリアルな身体へと地に足つかせてくれたのが理学療法士の「立てたじゃないですか」という言葉だったのです。オリバー・サックスは有名な脳外科医ですが、転落事故で左足の麻痺及び知覚が全くなくなり,その後感覚が戻ってくるときの感動的なシーンが著書に綴られています6)。興味深いことに、左足が充電され生き返った感覚が訪れた時に聞こえてきたのが、それまであまり熱狂的なファンでもなかったメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲だったのです。理学療法士のその言葉は,このバイオリン協奏曲に通底するものだったに違いありません。思うに、人間が病気から回復するとき、もちろん徐々に快方へと向かうわけですが、もしかすると一歩一歩良くなるというのでなくて、何かをきっかけにして急にジャンプアップするものなのではないか。機能の回復という視点で見れば、「〜ができる」か「できない」かは二者択一になり、そのことが「できた」ときには、突然出来たように思うわけですが,実際「できる」までには体の各機能が連続変数で上昇しているわけで、そのことはじわじわとは感じたりもしますが、でも「立てた」ということそのことは、それまでの立てなかった時とは何百倍かの飛躍感を持って心に残るのです。
それから約2週間,病室から理学療法室,あるいは病棟の廊下でと,リハは順調に進みました。またさいわい多くの支援があり,自院も代理の医師が診療できるようになりました。客観的に見るとリアル身体が徐々にシミュPに近づいてきたといえるのかもしれません。ただし実感としては,この時期になってくるとそれまでこう有りたい,ここに戻りたいと思い描いてきたシミュPはじつは,もうあまり意識しなくなってくるのです。リハビリにより身体機能が回復しかなり自力で歩けるようになりってくると,これから悪化する予測はなくなり,さすがにシミュNは意識から消え去っています。一方頭の位置を変えたときや運転時のめまいは結構残っていて食欲もいまいちでした。
それでも2週間の病院リハを終えて退院する頃には,健康体であったシミュPでさえ消え去り,だいたいこんな感じの身体でもいいんじゃないかというように,リアル身体が意識/精神と折り合いをつけてまた重なり合う感じになってきました。
<探索の物語 「場」のたいせつさ>
多くの病気から生還した社会学者A・W・フランクは,病いの物語の中で「冒険的探索(quest)」のタイプがあるのを指摘しました7)。収束ポイントが見込めるにせよ見込めないにせよ,リアルな身体が変化し,拡張していくようにさまざまなインプットを調整しながら進んでいく。理想の身体をシミュレートすることなく,日々生きることの細やかさに目を向け,最適な自己を探索していく。リハから社会復帰への時期は,まさにこの「探索」という呼び名がしっくりきます。探索し,探し当てられたレベルはさまざまにせよ,その場所でもそこで意識/精神とリアル身体が重なり合い安定する(図3)。ラテン語でre(再び) - habiris(適した)。つまり再び「適した」状態になる。リハとはそういうものなのかと再認識させられたのです。
それから約一週間,幸いにもカテーテル治療を行うことなく,ようやく症状が安定する兆しを見せ,画像診断でも進行のないことが確認されたました。この1週間シミュNとのギャップにおびえる日々だっかといえばそうではなく,めまい(のひどい身体)が自己全体を支配する時間(図1C)が多く,ギャップを考える余裕さえなかったのが本当のところでした。
そして発症7日後当たりから病室でのリハが始まりました。ベッドサイドに理学療法士の先生が来られ,まずベッドサイドで足を下に下ろすことから始まりました。頭を起こしからだを横に向けて足を下に下ろす。そして両手を体の脇におき,両手を伸ばしながら腰を上げてみる。
「小田倉さん,立てたじゃないですか」
先生が驚いたような感じで言われたその言葉,その瞬間をわたしは多分死ぬまで忘れないと思います。実はこの日(8月15日だったことも覚えています),朝起きたときもめまいと疲労感が強く,あと1周間はこんな感じなのかなと落胆していたのでした。
ところがリハの先生はあっさりと「ベッドの脇に座ってみましょう」「そのまま足に力を入れて腰を浮かせてみましょう」と言われました。
この一連の動作の中で,たぶんわたしの「自由意志」みたいなものは微塵もなく,なにか別の存在がわたしを動かした,いわば遠隔操作されたようなこれまで経験したことのない感覚を味わいました。「立った」と言うより,「立たされた」あるいは「気がついたら立っている身体があった」ーそんな感じでした。そしてかだらが軽い! 軽いというより「重さがない」ような,要するに自分でありながら自分の身体でない感覚。リアル身体なのに同時にシミュレーションされた身体のような感覚。これまで味わったことのない身体感覚でした。
そうした不思議な感覚をリアルな身体へと地に足つかせてくれたのが理学療法士の「立てたじゃないですか」という言葉だったのです。オリバー・サックスは有名な脳外科医ですが、転落事故で左足の麻痺及び知覚が全くなくなり,その後感覚が戻ってくるときの感動的なシーンが著書に綴られています6)。興味深いことに、左足が充電され生き返った感覚が訪れた時に聞こえてきたのが、それまであまり熱狂的なファンでもなかったメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲だったのです。理学療法士のその言葉は,このバイオリン協奏曲に通底するものだったに違いありません。思うに、人間が病気から回復するとき、もちろん徐々に快方へと向かうわけですが、もしかすると一歩一歩良くなるというのでなくて、何かをきっかけにして急にジャンプアップするものなのではないか。機能の回復という視点で見れば、「〜ができる」か「できない」かは二者択一になり、そのことが「できた」ときには、突然出来たように思うわけですが,実際「できる」までには体の各機能が連続変数で上昇しているわけで、そのことはじわじわとは感じたりもしますが、でも「立てた」ということそのことは、それまでの立てなかった時とは何百倍かの飛躍感を持って心に残るのです。
それから約2週間,病室から理学療法室,あるいは病棟の廊下でと,リハは順調に進みました。またさいわい多くの支援があり,自院も代理の医師が診療できるようになりました。客観的に見るとリアル身体が徐々にシミュPに近づいてきたといえるのかもしれません。ただし実感としては,この時期になってくるとそれまでこう有りたい,ここに戻りたいと思い描いてきたシミュPはじつは,もうあまり意識しなくなってくるのです。リハビリにより身体機能が回復しかなり自力で歩けるようになりってくると,これから悪化する予測はなくなり,さすがにシミュNは意識から消え去っています。一方頭の位置を変えたときや運転時のめまいは結構残っていて食欲もいまいちでした。
それでも2週間の病院リハを終えて退院する頃には,健康体であったシミュPでさえ消え去り,だいたいこんな感じの身体でもいいんじゃないかというように,リアル身体が意識/精神と折り合いをつけてまた重なり合う感じになってきました。
<探索の物語 「場」のたいせつさ>
多くの病気から生還した社会学者A・W・フランクは,病いの物語の中で「冒険的探索(quest)」のタイプがあるのを指摘しました7)。収束ポイントが見込めるにせよ見込めないにせよ,リアルな身体が変化し,拡張していくようにさまざまなインプットを調整しながら進んでいく。理想の身体をシミュレートすることなく,日々生きることの細やかさに目を向け,最適な自己を探索していく。リハから社会復帰への時期は,まさにこの「探索」という呼び名がしっくりきます。探索し,探し当てられたレベルはさまざまにせよ,その場所でもそこで意識/精神とリアル身体が重なり合い安定する(図3)。ラテン語でre(再び) - habiris(適した)。つまり再び「適した」状態になる。リハとはそういうものなのかと再認識させられたのです。
この探索から安定への段階で最もたいせつなもの,それは家庭医療学の泰斗,藤沼康樹氏がいみじくも指摘されたように「場」なのです8)。場? いやいやこの時期もっともたいせつなのは,やはり身体それ自体の医学的な回復ではないか。医学的にはそうかも知れません。なのに「場」。どういうことでしょうか。
さきほどの図2,リアル自己とシミュPとのギャップ1を思い出してみましょう。このギャップは不自由さの表現,すなわち身体的不自由感と社会的不自由感として現れると言いました。たしかに医学的に回復することによって動けるとか歩けるといった身体的不自由感は消えます。しかしそれにもまして大きいのは,理学療法士や看護師,医師の言葉であり,また家庭に帰れる,帰って家でやすらげる,何でも話せて助けてくれる妻や子供がいる,といった家族のつながりであり,仕事がすこしずつできるようになる,たまに休んでも支援してくれる仲間がいる,といった社会的なつながりです。そうした包み囲まれているように感じられる「場」があるということです(家族からのサポートについては言葉を尽くしきれません,これについては別の章で吐露することにします)。身体的にも社会的にも不自由感がなくなってくると,病初期に痛感していた「何でわたしが」という不条理感も薄らぎます。このくらいでもやっていける,少しくらいいめまいがふらつきがあってもなんとか生活していける,そう思えてきたとき,これまでのシミュP(理想的な身体)はもうなくなっています。
いや,シミュPはなくなりはしないのです。意識/精神として目の前から消えてどこかに行っているのです。このくらいでやっていけると思いつつも,身体全体はやはりより良い方向に(シミュPの方向に)向かっている感覚,どこかへ上昇していっているベクトルが感じられるのです。このベクトル感覚の源泉の大きな部分が,家庭や友人,地域,環境といった「場」なのです(注)。
この上昇するベクトル感覚こそが「健康が生成してくる」ということなのだろうと思われます。健康は決して完全な身体からの欠如を補う形で気づかれるのではありません。完全な身体が意識から消えても,そのときどきで立ち現れる上昇している感覚。スピノザの「コナトゥス」に通じるものかもしれません。あるいは,予測誤差が少しずつ埋まっていく感覚に似たものかもしれません。
改めて言います。健康とは,なにか良い方向,上向きの方向へと向かっていく感覚が湧いてくることなのです。
第1章急性疾患についてはここまでです。ほかの病い体験もこのリアル自己とシミュ自己との絡み合いの中から読み解くことができます。しかしながらがんのうつ,そして慢性疾患については,かなり急性疾患とはその様相が異なります。次章から少しずつこの絡み合いを解きほぐしていこうと思います。
文献
6)オリバー・サックス.左足を取り戻すまで.1994年,晶文社
7)アーサー・W・フランク.傷ついた物語の語り手 身体・病い・倫理」2002年,ゆるみ出版
8)藤沼康樹.55歳からの家庭医療 Session2|明日から地域で働く技術とエビデンス|36|家庭医療における「回復」の構造1 HEALINGLANDSCAPE.総合診療 2020;30(9):1148-1152.
by dobashinaika
| 2021-08-15 21:30
| 医者が患者になった時
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土橋内科医院の院長ブログです。心房細動やプライマリ・ケアに関連する医学論文の紹介もしくは知識整理を主な目的とします。時々日頃思うこともつぶやきます。
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