中高年開業医におけるヤブ化防止の傾向と対策
こんな事を言うと,かなりの反発を招きそうです。たしかにいくつになっても勉強熱心で,臨床経験も医学的知識もきわめて豊富な開業医はたくさんおられますし,全員ヤブ化というのは流石に言いすぎかもしれません。
しかし,開業して数年以上が経ち,体力的な衰えとともに,医学医療の目まぐるしい進歩になかなかついていけない,あるいは若い医師のような知識吸収の意欲も低下したと感じる医師は少なくないように思います。またそうした自覚のないままに,他の医療者から見て疑問を抱かせるような診療をしてしまっているかもしれません。
こうしたヤブ化の傾向と対策については家庭医療学の碩学である藤沼康樹先生のブログに詳説されており,こちらが非常に参考になります。また雑誌「総合診療」9月号の山中克郎先生の企画に具体的な方策も細かくまとめられています。
ここではこれらの視点に敬意を表しながら第10回宮城プライマリ・ケア研究会で話させていただいた内容に基づいて、循環器専門医を経て開業医として診療を行っている私なりの「ヤブ化防止対策」について,自分で心がけている実践を紹介したいと思います。
1)人はなぜヤブ化するか?
米国の哲学者トマス・ネーゲルは著書「コウモリであるとはどのようなことか」の中で,「われわれは,自分があるいくつかの事柄に特に真剣に取り組んでいることを示すような選択をすることなしには,人生を生きていくことが出きない」,つまり人間である以上目の前の人生あるいは生活に真剣であることは当然であり避けがたいことであると言います。一方人間は「ちょうど砂山に四苦八苦しながら登っていくアリを見るときに湧いてくるような第三者的な驚嘆の念を持って,自分自身と自分が従事している人生とを,一歩退いて眺めることができる」と説いています。つまり自らの生に対し疑念を持つことも同時に免れがたく,これさえも人間の持つ一つの能力であるというのです。
私の言葉に直せば,前者は「オタク化」,後者は「アイロニー」と言えるかもしれません。医学的知識や知識のupdateに関ししてオタク化するのはなんの問題もありません。しかし経験を積んできた医師は,意外に自分の臨床経験に絶対の自信を持ち,疑問視する姿勢に欠けます。「これまでこうしてきてなんの問題もなかったから」「このやり方が一番ストレスがないから」,そうした自信が臨床判断の根拠になっている医師は少なくないでしょう。もちろんそうした経験は若手が到達できない一種の暗黙知として医師の実力の大きなウェイトを占めるものです。しかし他者からのフィードバックを受けていない経験には,たくさんの認知バイアスの入り込む余地があります。フィードバック環境がない場合,医師はますます独善化し硬直化しがちです。ここで言う「オタク化」とは自らの経験に対してオタクになってしまい独善化する,ということです。
もう一つの「アイロニー」ですが,「メタ化」と言っても良く,自分の診療行為を一歩引いて客観的に見つめ直す行為です。そうしたアイロニーであればポジティブなものですが,そうではない「アイロニー」を連想する中高年医師も多いでしょう。つまり,自分の診療を一歩引いて「まあこんなもの」と自己納得化してしまい,日々のルーチンワークに対する新鮮さや驚きの感覚が鈍麻していく。そして診療以外の趣味であるとか経営のことを行動の第一選択においてしまう。言ってみれば向上に対する無関心あるいは意欲低下です。
オタク化が独善化硬直化する原因はすぐに察せられます。一言で言えば前述したように他者からのフードバックがないことです。ソロプラクティスの開業医にとって,他者からのネガティブな指摘は,病院医師からも含めてかなり少ない。せいぜいレセプトの査定や患者さんからの苦情のレベルにとどまっています。どんなに豊富な経験を持つ医師であっても,最新の医学的知見は研鑽でしか得られず,また自らの失敗に気づく機会が希薄です。このように「診療への構造化されたフィードバックシステム」が保証されていない(藤沼先生のブログより)ことが,最大の原因です。
もう一つのアイロニー化は,日々の診療の反復とルーチン化が主要因と思われます。生物医学的知識偏重の医学教育を受けてきた世代にとって,診療所で出会うケースは日常的でありふれていて表面的には反復的です。そうした傾向は倦怠感や事務的感覚をもたらし,ひいては診療への無関心,あるいは「診療なんてこんなもの」感を引き起こすことになります。
健全にオタク化しアイロニーを持つのであればよいのですが,中高年医師は往々にして,それとは正反対のオタク化,アイロニーへと突き進んでしまう。その背景にフードバックシステムの欠如と,反復する日常診療への倦怠感が挙げられる,というのがヤブ化の本質と思われます。
2)ヤブ化問題の構造
さて、ヤブ化対策に移る前に、上述のフィードバックの欠如についてもう少し考えてみます。医師は患者さんと向き合う時、様々な人々との関係性を保ちながら診療しています。様々な階層が考えられますが、本ブログでは「患者身体」(患者さんの身体をさしますが、ここでは単に生物学的身体のみならず、心的身体を含む全人的な視点で捉えて「身体」と表現します。「全人的な」という表現はやや嫌ですね。「主体」というような意味です。言い方はあまりこだわりません)、「メディカルスタッフ」「同業医師」「家族・地域」「社会・環境」の5つのレイヤーを想定します。日々の診療では、患者身体に対しては治療、メディカルスタッフに対しては診療上の指示、同業医師に対しは医師会活動などという具合に、医師は様々な働きかけを各レイヤーに対して行っています。他方、医師はもちろん患者からも、診療の経過を通して様々な知識を学び取り、メディカルスタッフからも患者情報を得、同業医師からは各種影響を受け、という具合に各レイヤーとの間の様々な関係性を保ちながら生活しています。
医師の生活をこのような構造から捉えるとき、ヤブ化とは各レイヤーとの「関係性が希薄になっていくこと」、あるいは「各レイヤーからのフィードバックに対し鈍感になること」と定義することもできます。私たち医師は日々、自らの診療行為が患者身体にどのような変化を生じさせたのか、振り返りを繰り返しながら向上していく省察的実践家としての顔を求められます。前述した「オタク化」「アイロニー」とはこうした患者身体からのフィードバックだけででなく、メディカルスタッフや、同業医師、家賊・地域、そして社会環境に至る各レイヤーからのフェイードバックを受けたがらない、あるいは鈍感になってしまうことに他ならないように思われます。
他業種との関係性やフィードバックが希薄となって、孤立化、独善化する。これも「ヤブ化」の本質と言えます。こうしたヤブ化の構造を踏まえた上で、ヤブ化対策を考えることにします。
3)各レイヤーとの関係性構築を主眼としたヤブ化対策
3−1)患者からのフィードバック(フィードバック①)
対策の主眼は各レイヤーからのフィードバックの強化です。これには様々な方策が考えられます。レベル1,患者身体からのフィードバックとしては、「ナレッジベースの構築」が欠かせません。単純な話、日々の診療で疑問に持ったことをその時その日その週に調べ知識化する作業です。これにはICTが有用です。日々の診療で生じた疑問に対しUpToDateその他の媒体で検索吟味しEvernoteなどにまとめるといった作業はもはや常識的に行われているでしょう。こうした作業はEBMの基本的姿勢であり、普遍的な学習方法と思われます。しかしながら、ICTに親しみの薄い中高年医師は、年々一人で勉強することの億劫さを自覚します。ヤブ化のもう一つの側面として「面倒くさがり」も重要な要素として考えねばなりません。
3−2)メディカルスタッフからのフィードバック(フィードバック②)
当院では,2019年4月から,日本NP教育大学院協議会の診療看護師(NP)資格を取得したNPを採用し,問診や臨床推論,あるいは生活習慣の管理などを行っています。診療所の外来診療に従事するNPは全国的にもあまり例がないと思われますが,NPは非常に優秀で,外来診療の多くを担うことが可能と考えます(処方その他最終チェックはもちろん医師が行います)。このことに関しては別の機会に詳しく報告したいと思います。
もうひとつ後述しますが,月1回,当院スタッフと外部スタッフによるケアカンファランスや,毎朝のミーティングにおいて,その時時の「困ったこと」「良かったこと」を共有する場を設けることにしています。たとえば昨日受診された患者さんの診療中で良かったと思うことを,構成メンバーから挙げてもらい皆で共有する。これをすると,チームで医療をしている一体感がぐっと増します。またメディカルスタッフから,医師がそれまで全く気づかなかった患者さんの情報,側面をたくさん知る機会でもあります。そうした情報に半ば愕然とすることもあり,日々のコミュケーション向上にかなり寄与します。
3−3)同業医師からのフィードバック(フィードバック③)
「ナレッジベースの構築」は最重要ですが、独学には限界があります。「ヤブ化対策の本質はすばり、「一人でやらない、みんなとやる」ことだと考えます。この時同業医師のコミュニティは非常に強い味方です。各種SNSはその点で非常に有効なツールです。今やFacebook、Twitterは臨床上の疑問に回答を与える有力な武器です。
ただし、やはり患者ケースをベースにディスカッションすること(PBL:Problem-based learning)は、様々な視点を私たちに与えてくれます。特に近所の信頼できる医師同士でのカンファランスでのライブ感は単なる情報以上の「生身の知識」が得られる重要な実践の場です。
当院では2017年から(前身は2005年)当院待合室で、顔見知りの開業医,病院勤務医10-15人による「シン寺子屋勉強会」を3ヶ月に1回の割合で行うことを始めました。資金は毎回の茶菓代300円のみです。各自で気になる症例を持ち寄り思い思いにディスカッションをします。症例は特に珍しいものだけではなく、表に示すようなありふれたケースでもOKです。
中高年医師の多くが病院専門医からの転職が多いという特徴は、このカンファではプラスに働く面があります。各分野のエキスパートが揃っており,たいていの、そして極めてローカルかつ有用な知識がいながらにして得られます。
問題は、いわゆるインクルーシヴな、あるいは包括的な家庭医の視点からのフィードバックがあるかという点です。ありふれたケースを扱うには、「内科ではない」と言った頭から離れることが大切です。一応、私はある家庭医養成セミナーを2年間受講し、なるべく家庭的視点での発言をするように心がけたいと思っています。まだまだマスタークラスとは程遠い事を実感します。
未だに製薬企業主導の勉強会が情報リソースの多くを(見かけ上?)占めていますが、コンプライアンスの問題等からこうした勉強会が衰退していくこは確実であり、この時に備えて、本来は医師会などが主体となって、地域の島宇宙のような10人前後くらいの学習コニュニティーを創生することが望まれるように思います。
3−4)家族・地域からのフィードバック(フィードバック④)
すでに本ブログで紹介しているように,当院では2017年から,毎月第3水曜日の午後に,認知機能低下等で多職種との関わりが必要な方について,一人30〜40分程度のケアカンファランスを行っています。構成員は患者さん本人,ご家族,ケアマネージャー,訪問看護師,デイサービススタッフ,福祉用具業者などです。
内容は主に,前半で各職種からの問題点紹介を行い,後半でそれに関する解決策を話し合うわけです。開催して2年になりますが,これは本当にやっていてよかったと思います。家族や医療介護スタッフを通して患者さんを取り巻く家庭,地域の全体像が把握できます。患者さんが診察室の外ではこういう事を考え,こういう生活をしているんだということが改めて新鮮な問いかけとして立ち現れます。
2年間開催してみて,痛切に感じることがあります。一つは,このカンファは基本的に患者さん本人参加を原則としているのですが,大勢が集まる場で患者さんは気後れをしてあまり話をしでいただけないでのではと危惧していました。しかしやってみたらそれとは正反対に,日々の日常や家族への思い,あるいは趣味のことなど,非常に生き生きと語る患者さんを目の当たりにします。普段診察室では決してみることのなかった明るい表情や笑顔を多く見ることができます。一人暮らしや老老介護の中で,このような語りの場は患者さんにとっても自分を開架する場になっているのかもしれないと思っています。
もう一つ,カンファの場では,ときにご家族と患者さん本人との間のすれ違いやご家族が非常に苦労していることが浮き彫りになる場面も見られます。このようなときは,改めて本人は参加せずご家族とスタッフとでカンファを開くことがあります。介護が必要なケースというのは実は家族も様々な問題を抱えている,よく知られたことですがこれもカンファを開くことで,たとえば患者さんのこうした言動が家族を悩ませているという具体的状況が共有できます。漠然とした家族の悩みが明瞭になります。
カンファで語られる内容を診療に活かすことが主眼ですが,患者さんご家族にとっても,あるいは医療介護スタッフにとっても。このように「語りの場がある」ということが重要な意味を持つように思われます。オープンダイアローグと言うには程遠いかもしれませんが,今後スタッフのスキルアップを図りながら,より語りやすい環境を形作っていきたいと考えています。
3−5)社会・環境からのフィードバック(フィードバック⑤)
最後に社会・環境からのフィードバックです。これも本ブログで紹介してきておりますが,3ー4ヶ月に1回,一般市民を対象として「どばし健康カフェ」という集まりを融資スタッフが主体となって開催しています。東京大学の孫大輔先生が立ち上げている「みんくるカフェ」の仙台支店として2013年から開始しました,一般市民と医療福祉介護者が健康の諸問題についてカフェ形式で語り合います。
テーマは下の表ようにごく身近な健康の話題から,やや深い内容までさまざまです。本カフェは同業者同士のカンファやケアカンファとは,また全く異なる雰囲気で進みます。テーマはあくまで「健康食品やサプリはからだにいい?」といった当事者意識を必要としない自分の外側の問題です。そのため参加者の語りは非常にフランクで,多岐にわたり,自由な空気が支配します。ケアカンファも自由な雰囲気ですが,カフェになると参加者が自分の「役割」を気にしなくていいということが最大の特徴です。その中での語りは,やはり医療者,介護者にとって意外性や新たな発見に満ちます。
たとえば「AIについて」がテーマのときは,意外にも「AIに診てもらいたい」と考える方が多く,医師のあり方を改めて考えさせられました。「健康情報」がテーマのときは,「医師が十分説明をしてくれないからマスコミ情報に頼る」という理由が多いことも驚きの一つでした。
こうした患者ではない一般市民の思いを聴くことは,診察室の中ではなかなかできません。SNSなどから市民の健康観を得られる場合もありますが,SNS情報はこうした領域では偏りがちかと思われます。市民の語りを直接聴くことで,医療者ではない人々が医療や医療者,健康や病気について何を思い行動しているのか,これを知ることで広い知見が得られ,独善的にならない方向に導いてくれる気がしています。
まとめ
中高年医師がヤブ化に陥りやすい要因を探り,その対策につき長々書きました。
まとめると以下になります。
・中高年医師のヤブ化の背景には「オタク化」と「アイロニー」がある
・そのまた背景には知力体力の衰えによる「面倒臭さ」の前面化と各レイヤーからのフードバックの欠如が考えられる
・当院でのヤブ化防止対策の主眼は,「フィードバックの場を積極的に設ける」,そのためには「ひとりでやらない,みんなとやる」ことである
・患者身体,メディカルスタッフ,同業医師,家族・地域,社会・環境のそれぞれのレイヤーからフィードバックされる場を設定し実践している(つもり)
そうは言ってもそういう場を設定すること自体面倒だ,それができないから問題なのだ,という声も当然あると思います。また当院での対策が普遍的で取り組みやすいかというとむしろ立ち上げには幾ばくかの障壁があることも事実です。
でも,「ヤブ化の徴候」はたとえどんなに鈍感な医師でも,日常診療のちょっとした場面で自覚しているのではないでしょうか。あるいは「ヤブ化」というネガティヴな感触でなくても,独善的になったり(オタク化)で医療情報に以前ほど関心がなくなった(アイロニー)と感じることは多少なりともあると思います。
そうした徴候が現れたときに,若干でも助けになればと考え,書いてみました。
ご参照いただければ幸いです。
$$$ 先日の台風一過の仙台
by dobashinaika
| 2019-10-18 07:27
| 開業医の勉強
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筆者は、2013年4月以降、ブログ内容に関連して開示すべき利益相反関係にある製薬企業はありません
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