人気ブログランキング | 話題のタグを見る

共病記(9)〜医者が患者になった時〜:5つの不 その⑤「不安」と2人のじぶん

急に病気になった時、とくに痛みなどの症状が強いときは、自分の体はその全部が痛みに置き換わったような、痛み=身体のような感じに支配されます。わたしの場合は後頭部痛と高速ランダムめまい感に加えて、前にも書いているように後頭部からお腹にまでかけての得も言われぬもっさり感が、少しの寝返りでもつきまといました。入院から4日は、もう何もかもが余裕がなくて、ひたすらからだ全体が「頭痛とめまいのする身体」、「もっさりした身体」の塊となって、まんじりともせず過ごしたように思います。

入院5日目、あすが3回めのMRIの日という夜になって、はっきりあることに気が付きました。それは頭痛、めまいする自分、もっさり感のある病気をしている自分と、その自分に対し、脳の動脈の状態は今どんな感じで、この先どうなってしまうのか、またこのままでいると自分の仕事場や受診する患者さんはどうなってしまうのだろうかと、あれこれと言葉で考えている自分の2人の自分が存在するということです。

その前の日までは、あれこれ考えはしますが、とにかく経験したことのない症状と、経験したことのない環境の変化とで自分の中身まで考える余裕は全くありませんでした。全身が身体、それも病める身体そのものとなったような感覚でした。しかしやや症状が軽くなり、また次の日の検査結果によっては手術になるか、あるいは手術もできないような命に関わる難しい局面を迎えるかが決まるという段になってはじめて、痛い、苦しいと感じている自分と、その状況を言葉でもって分析し、周りとの関係を考える自分とがいるということをはっきり意識しました。

名付けるなら、前者は自分の体そのもの、他が取って代わることのできない感覚全体であり「身体のじぶん」とでも言えるかと思います。一方後者はそうした自分を医学的、社会的に認識し分析する自分。それら一切は言葉でおこなうわけですので「言葉のじぶん」です。発症当初は強い症状と激しい環境の変化から全存在が「身体のじぶん」しかなかったのが、数日して「身体のじぶん」から「言葉のじぶん」がわかれて、はっきり存在感を主張するようになったのです。もっとイメージ的に言うと、2つの自分が並列してあるわけではなく、苦しむ身体のじぶんは常に脳の底の方(あるいは後頭部からお腹付近)に横たわっていて、その上で言葉のじぶんがあちこち右往左往しているといった感じです。

身体の自分について、一人で考えていると非常にキツイ状況になります。前に述べましたように、「高速ランダムめまい」や「もっさり感」は自分でもこれまで経験したことのない言葉に表せない感じでしたので、到底この微妙な感じ=いわゆるクオリアを正確に言い表すことも伝えることも不可能に思えます。この感覚は唯一無二だと思うほど、孤独で絶望的となります。

そして何より明日のMRIしだいでは、手術かまたは最終的に死に直面する自体になるかもしれない、、、と主治医の先生から言われていましたが、それに対して確たる予測も制御もできない。医師のくせにこの時点で明日の各運命候補の大雑把な確率や治療法すら述べることができない。この不確実性に恐れおののきます。極端に言うと明日死の宣告を受けるかもしれないのに、それに対して何一つ予測対策が立てられない。

この身体のじぶんの「よるべなさ」といいますか、決してわからないだろうという絶望感と、明日のことは全く予測できないし、制御することもできないという感覚。そこから導き出されるものはひとつしかありません。そう。「不安」です。これが第5の、そして最後の「不」です。

そうなんですね。人間にとって自分という存在が一番不安の源なんですね。自分の感じていることは人にはわからない。予測できない、コントロールできない。自分のことなのに、自分自身に翻弄されてしまう。もっともこれは病気にかぎらず、日々の生活の中でも、自分という存在は根本的に孤独であり、予測制御不可能なものが自分なのだということだと哲学的には考えられるのですが、病気になるとそれが実感を持って感じられるということかと思います。

ただ、私自身はもちろん不安でしたが、一方でかなり楽観的というか、それももう清水の舞台から飛び降りるかのような悲壮を背にした開き直った楽観ではなくて、淡々とした楽観みたいなものがありました。ひとつは、やはりネットの医学サイトなどで「椎骨動脈解離の予後は比較的良好」という記載が多いことを知っていたからかもしれません。

一方で、医者としてこれまでいろいろな患者さんを診てきていましたが、患者さんで思い出すのはやはりたとえばワーファリンを飲み忘れて大きな脳梗塞を起こし寝たきりになったひととか、亡くなった人のことばかりなんです。しかし医者の考え方の癖なのかもしれませんが、身体のじぶんに対しても割と客観的でいられるというか、まあそれはミゼラブルな結果になるのは怖いわけですが、たとえ自分の場合であってもそうした悪い結果も医学的にはありうるだろうなというふうに冷静に考える自分もいるわけです。

13年前、ほとんど予兆のなかった父親に急にすい臓がんがCTで見つかって、もうその翌日に余命半年だろうと主治医に言われたのを思い出したのですが、このときも本当ならそれまで元気だった肉親についてある日突然重篤な知らせを受けましたので、取り乱したり悲しんだりするはずですが(もちろんそうもしましたが)、それとは別に、病態生理やらエビデンスやらそれからこれまでの経験などにあれこれ頭を廻らせては、そういうこともあるだろうな、こうすれば少しはいいかなというように「医学的に冷めた自分」がいたのです。今回自分自身のことではあってもやはりそうした医学的に冷めた自分のおかげで、何があっても平気とは言わないまでも、まあどういうケースも有り得るだろうなと冷めて考える時間はありました。

もうひとつ、やはりですね、「自分はなんとなく、悪いようにはならないよ」みたいな、全く根拠のないバイアスがあったように思います。ネットには予後良好という記載のほか、脳動脈瘤の破裂から死に至ったケースや、脳幹に解離が及んで重篤となったケースレポートも幾つもあったのですが、自分はそうはならないだろうという、よく言われる正常性バイアスがどこかにありました。正常性バイアスは、災害などでは逃げ遅れの原因になるため問題ですが、深刻な病気で今後予測困難な状況にある人に対しは、ある種の福音として働くのかもしれません。

こうして不安と冷めた感覚、正常性バイアスなどがない混ぜになった形で3回めのMRIを迎えましたが、結果、悪化はなく、当面手術や死のリスクは少なくなったことを先生から聞かされた時には、試験の結果を待つような心境でしたが、やはりほっとしました。

長々と書きましたが、今回の病気を通じて一番大きな発見が、自分の中に「身体のじぶん」と「言葉の自分」の2つの自分があるのだということでした。そして両者はつかず離れずの距離を保ちながらその関係性が徐々に変貌を遂げていくということを経験しました。

病気というのはつまりこういうことです。「身体のじぶん」と「言葉のじぶん」の2つの自分、およびその関係性が物理的肉体的(あるいは精神的)に障害をきたしまた回復することによって変化変貌していく。その変化そのもの、そしてその変化を「言葉のじぶん」がどのように受け入れていくのか、その受入の仕方そのものが病気というものなのだ、と。
現時点での私の「病気」の定義です。

免疫学者の多田富雄先生は、周知のように脳梗塞にたおれられましたが、先生が右片麻痺を発症しながらリハをした時のことを、岸本葉子さんが「生と死をめぐる断層」の中で紹介されています。多田先生曰く「私の中に、なにか不思議な生き物が生まれつつあることに気づいたのは、いつ頃からだろうか」「私はこの新しく生まれてきたものに賭けることにした。自分の体は回復しないが、巨人は今形のあるものになりつつある」(多田富雄「寡黙なる巨人」)。

やはり病に伏せるというのは、単なる機能低下、機能廃絶ではなくて、自分の中の自分同士の関係性の変化であることを多田先生の言葉からも読み取れます。

私、哲学が好きで、わからないなりにはっとする言葉を求めて哲学書を読んだりしますが、前々からキルケゴールの「死に至る病」冒頭の有名な人間の定義について、まあそうかなあくらいで読み飛ばしていました。今回この病気を経て、その言わんとすることがようやくそれこそ自分の身体に染み入るようになりました。それは、
「人間は精神である。精神とは何であるか? 精神とは自己である。自己とは何であるか?自己とは自己自身に関係する所の関係である。すなわち、関係ということには関係が自己自身に関係するものなることが含まれている──それで自己とは単なる関係でなしに、関係が自己自身に関係するというそのことである。」
という一節です。これまでは「何のこっちゃ」という感じでしたが、今読むとこれまで述べてきたことのすべてを言い表していて、改めてなにかおそろしいまでの洞察力を感じました。

「身体のじぶん」と「言葉のじぶん」。医療はこの両者と、両者の関係性とに深く関わっていくわけです。
ということで共病記の”哲学シリーズ”を終わりまして、次回からはもっと身近な入院生活のあれこれを書こうと思っています。

$$$ 今日は寝坊したので散歩さぼってしまいました。写真は医院近くの隠れ家的お店の「紅心だいこん入りピザ」ここかなり美味しいお店です。場所は秘密^^
共病記(9)〜医者が患者になった時〜:5つの不 その⑤「不安」と2人のじぶん_a0119856_1133625.jpg

by dobashinaika | 2015-01-12 01:25 | 医者が患者になった時 | Comments(0)


土橋内科医院の院長ブログです。心房細動やプライマリ・ケアに関連する医学論文の紹介もしくは知識整理を主な目的とします。時々日頃思うこともつぶやきます。


by dobashinaika

S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

カテゴリ

全体
インフォメーション
医者が患者になった時
患者さん向けパンフレット
心房細動診療:根本原理
心房細動:重要論文リンク集
心房細動:疫学・リスク因子
心房細動:診断
抗凝固療法:全般
抗凝固療法:リアルワールドデータ
抗凝固療法:凝固系基礎知識
抗凝固療法:ガイドライン
抗凝固療法:各スコア一覧
抗凝固療法:抜歯、内視鏡、手術
抗凝固療法:適応、スコア評価
抗凝固療法:比較、使い分け
抗凝固療法:中和方法
抗凝固療法:抗血小板薬併用
脳卒中後
抗凝固療法:患者さん用パンフ
抗凝固療法:ワーファリン
抗凝固療法:ダビガトラン
抗凝固療法:リバーロキサバン
抗凝固療法:アピキサバン
抗凝固療法:エドキサバン
心房細動:アブレーション
心房細動:左心耳デバイス
心房細動:ダウンストリーム治療
心房細動:アップストリーム治療
心室性不整脈
Brugada症候群
心臓突然死
不整脈全般
リスク/意思決定
医療の問題
EBM
開業医生活
心理社会学的アプローチ
土橋内科医院
土橋通り界隈
開業医の勉強
感染症
音楽、美術など
虚血性心疾患
内分泌・甲状腺
循環器疾患その他
土橋EBM教室
寺子屋勉強会
ペースメーカー友の会
新型インフルエンザ
3.11
Covid-19
未分類

タグ

(44)
(40)
(35)
(31)
(28)
(28)
(25)
(24)
(24)
(23)
(21)
(21)
(20)
(19)
(18)
(18)
(14)
(14)
(13)
(13)

ブログパーツ

ライフログ

著作
プライマリ・ケア医のための心房細動入門 全面改訂版

もう怖くない 心房細動の抗凝固療法 [PR]


プライマリ・ケア医のための心房細動入門 [PR]

編集

治療 2015年 04 月号 [雑誌] [PR]

最近読んだ本

ケアの本質―生きることの意味 [PR]


ケアリング―倫理と道徳の教育 女性の観点から [PR]


中動態の世界 意志と責任の考古学 (シリーズ ケアをひらく) [PR]


健康格差社会への処方箋 [PR]


神話・狂気・哄笑――ドイツ観念論における主体性 (Ν´υξ叢書) [PR]

最新の記事

ライフスタイルを重視した新し..
at 2023-11-06 21:31
入院中に心房細動が初めて記録..
at 2023-11-05 11:14
フレイル高齢心房細動患者では..
at 2023-08-30 22:39
左心耳閉鎖術に関するコンセン..
at 2023-06-10 07:29
患者ー医療者間の「心房細動体..
at 2023-04-26 07:27
心房細動における認知症の評価..
at 2023-04-20 07:29
AIによる心房細動の診断と発..
at 2023-04-14 07:30
心房細動診療の新しい"ABC..
at 2023-04-10 05:00
心房細動早期発見の現状と課題..
at 2023-04-09 10:58
高齢者へのDOAC。本当に減..
at 2023-03-23 19:12

検索

記事ランキング

最新のコメント

血栓の生成過程が理解でき..
by 河田 at 10:08
コメントありがとうござい..
by dobashinaika at 06:41
突然のコメント失礼致しま..
by シマダ at 21:13
小田倉先生、はじめまして..
by 出口 智基 at 17:11
ワーファリンについてのブ..
by さすけ at 23:46
いつもブログ拝見しており..
by さすらい at 16:25
いつもブログ拝見しており..
by さすらい at 16:25
取り上げていただきありが..
by 大塚俊哉 at 09:53
> 11さん ありがと..
by dobashinaika at 03:12
「とつぜんし」が・・・・..
by 11 at 07:29

以前の記事

2023年 11月
2023年 08月
2023年 06月
2023年 04月
2023年 03月
2023年 02月
2023年 01月
2022年 12月
2022年 10月
2022年 09月
2022年 08月
2022年 06月
2022年 05月
2022年 04月
2022年 03月
2022年 02月
2022年 01月
2021年 09月
2021年 08月
2021年 07月
2021年 06月
2021年 05月
2021年 04月
2021年 03月
2021年 02月
2021年 01月
2020年 12月
2020年 11月
2020年 10月
2020年 09月
2020年 08月
2020年 07月
2020年 06月
2020年 05月
2020年 03月
2020年 02月
2020年 01月
2019年 12月
2019年 11月
2019年 10月
2019年 09月
2019年 08月
2019年 07月
2019年 06月
2019年 05月
2019年 04月
2019年 03月
2019年 02月
2019年 01月
2018年 12月
2018年 11月
2018年 10月
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 03月
2007年 03月
2006年 03月
2005年 08月
2005年 02月
2005年 01月

ブログジャンル

健康・医療
病気・闘病

画像一覧

ファン