人気ブログランキング | 話題のタグを見る

医療リスクについての「理解」と「納得」

突然ですが、医療とは何か、臨床とは何か、この大上段な問いに対して暫定的かつ業界的にも世界潮流的にも妥当な答えは「医療はコミュニケーションである」ということだと思われます。
では、コミュニケーションとは何か、これもかなり大上段なテーマですが、暫定的に、「様々なものを共有または共感すること」としておきます。また行為の文脈からは「合意形成」であるということもできます。
この「様々なもの」は、一言で言えば「情報」と言っても良いですが、その中には、知識、価値、感情といったカテゴリーが含まれるはずです。

ダン・ガードナーの「リスクにあなたは騙される」(早川書房)はリスク認知を理解する上での名著ですが、そこで人間の思考システムには「頭」と「腹」の2つがあることが強調されています。言うまでもなくそれは「理性」と「感情」に相当するのですが、原発事故以来、こうしたリスク認知を巡る二項対立がよりクローズアップされてきているように思われます。
たとえば「安全」と「安心」、「客観確率」と「主観確率」、「アルゴリズム」と「ヒューリステクス」。どれも言葉は違いますが「頭」と「腹」の2システムを想定した概念です。

はじめに述べた「様々なもの」は、医療コミュニケーションにおいては「医学的知識」と「それに対する感情や価値観」という二項対立の形で現れてくるように思われます。例えばワーファリンを飲む場合の副作用は約1%ですが、それより飲むことの利益の方が大きいことを説明した場合、患者さんの反応はおおむね次の4パターンあることを私はずっと感じていました。

まず、1%というリスクの意味とベネフィットとの差を理解して、服用することに納得される人。この人たちを「理解納得型」と呼ぶことにします。

次に、リスクとベネフィットの意味は理解するけれども、それでも副作用で脳出血になったらこわいので飲みたくないという人。この人たちを「理解不納得型」と呼ぶことにします。

第3に、リスクやベネフィットの意味はわからないけれども、先生の言うことだから信用しますという人。この人たちを「不理解納得型」と呼ぶことします。

最後に、やはりリスク、ベネフィットの意味はわからないが、副作用が不安なので服用しないという人。この人たちを「不理解不納得型」と呼ぶことにします。

このうち第3の「不理解納得型」は主に高齢者に多いのですが、これまでブログでも何度か言及した社会心理学で言う精緻化可能性モデルの周辺ルートに相当します。リテラシーや動機が不十分な場合、情報の送り手すなわち医師への信頼性や魅力の高さを根拠に納得する思考法です。

私が常日頃考えるのは、上記2番めと4番め、すなわちどちらも「不納得型」ですが、この人たちに納得していただく、つまり「腹」でわかっていただくにはどうしたら良いかということです。いわゆるリスクリテラシーを高めれば、果たして「腹」レベルまで納得してもらえるのでしょうか。この問いに対しては、「腹」の手強さを考えると、いささか絶望的な気配が漂います。

「腹」とは、感情を主に指しますが、またその人個人の信念あるいは価値観を含む概念でもあります。言うまでもなく個人の感情や価値観は非常に強固です。特に医療のリスクに関する「腹」は、絶望的に手強い。なぜならまず副作用は自分自身のからだそのもののことだからです。計画停電のリスク、増税のリスク、他人がワーファリンを飲んで脳出血になる1%のリスク,こうしたリスクと、自分が脳出血になってしまう現象とは「その人」にとって根本的に違います。

さらにリスクは、基本的に「未来のこと」の確率ですのでリスク1%といっても、出血が起きてしまえばその人にとっては100%の「過去のこと」になってしまします。経済学者小島寛之が村上春樹の「パン屋再襲撃」の一節「世の中には正しい結果をもたらす正しくない選択もあるし、正しくない結果をもたらす正しい選択もあるということ」の中に見いだした不条理性です。「ことが起きる前の正しさ」と「ことが起きたあとで振り返ったときの正しさ」という決定的な断絶です。

こうした「腹」の前ではわれわれ医療者はなす術がないかもしれません。しかしながら、まずこういうことはできると思うのです。たとえば2番めの「理解不納得型」の人は、実は「理解不十分あるいは誤解不納得」なのかもしれない可能性があります。コストやスキルアップで「誤解」を解くことで「納得」に導けるかもしれません。

それでも「納得」が得られない場合はどうするか。私は「それはそれで良い」と思います。はじめに述べたように、コミュニケーションは「感情への共感」「価値観の共有」がその本分であり。早急に結論を出したり問題解決をいそいだりすることが本質ではありません(時間的緊急性のある問題は別に考えます)。了解し合うことやプロセス自体に意義があると考えるからです。ハーバーマスはこのような了解志向型の営みを「コミュニケーション行為」と呼び、「成果志向型」よりも本質的であると指摘しました。情報の共有の努力を尽くした上で、「不納得」について共感するーとりあえずこのスタンスを大事にしたいと思います。

なお、就活でも何でもコミュニケーション能力が最重要などとよく言われるようになりましたが、コミュニケーション行為は「能力」の尺度で捉えられるものか、いつも疑問に思います。「情報」の共有であれば、それなり能力やスキルは必要です。これに対し価値観や信念、感情と言った思考活動について「共有、共感」するのも「能力」なのでしょうか?「経験」や「想像力」の介在する余地は?また後日考えたいテーマです。
by dobashinaika | 2011-06-26 11:20 | リスク/意思決定 | Comments(0)


土橋内科医院の院長ブログです。心房細動やプライマリ・ケアに関連する医学論文の紹介もしくは知識整理を主な目的とします。時々日頃思うこともつぶやきます。


by dobashinaika

S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

カテゴリ

全体
インフォメーション
医者が患者になった時
患者さん向けパンフレット
心房細動診療:根本原理
心房細動:重要論文リンク集
心房細動:疫学・リスク因子
心房細動:診断
抗凝固療法:全般
抗凝固療法:リアルワールドデータ
抗凝固療法:凝固系基礎知識
抗凝固療法:ガイドライン
抗凝固療法:各スコア一覧
抗凝固療法:抜歯、内視鏡、手術
抗凝固療法:適応、スコア評価
抗凝固療法:比較、使い分け
抗凝固療法:中和方法
抗凝固療法:抗血小板薬併用
脳卒中後
抗凝固療法:患者さん用パンフ
抗凝固療法:ワーファリン
抗凝固療法:ダビガトラン
抗凝固療法:リバーロキサバン
抗凝固療法:アピキサバン
抗凝固療法:エドキサバン
心房細動:アブレーション
心房細動:左心耳デバイス
心房細動:ダウンストリーム治療
心房細動:アップストリーム治療
心室性不整脈
Brugada症候群
心臓突然死
不整脈全般
リスク/意思決定
医療の問題
EBM
開業医生活
心理社会学的アプローチ
土橋内科医院
土橋通り界隈
開業医の勉強
感染症
音楽、美術など
虚血性心疾患
内分泌・甲状腺
循環器疾患その他
土橋EBM教室
寺子屋勉強会
ペースメーカー友の会
新型インフルエンザ
3.11
Covid-19
未分類

タグ

(44)
(40)
(35)
(31)
(28)
(28)
(25)
(24)
(24)
(23)
(21)
(21)
(20)
(19)
(18)
(18)
(14)
(14)
(13)
(13)

ブログパーツ

ライフログ

著作
プライマリ・ケア医のための心房細動入門 全面改訂版

もう怖くない 心房細動の抗凝固療法 [PR]


プライマリ・ケア医のための心房細動入門 [PR]

編集

治療 2015年 04 月号 [雑誌] [PR]

最近読んだ本

ケアの本質―生きることの意味 [PR]


ケアリング―倫理と道徳の教育 女性の観点から [PR]


中動態の世界 意志と責任の考古学 (シリーズ ケアをひらく) [PR]


健康格差社会への処方箋 [PR]


神話・狂気・哄笑――ドイツ観念論における主体性 (Ν´υξ叢書) [PR]

最新の記事

日本独自の新しい心房細動脳梗..
at 2024-03-17 22:31
心房細動診療に残された大きな..
at 2024-01-03 23:00
東日本大震災と熊本地震におけ..
at 2024-01-02 16:11
脳梗塞発症後の心房細動患者に..
at 2024-01-01 18:41
ACC/AHAなどから202..
at 2023-12-10 23:12
ライフスタイルを重視した新し..
at 2023-11-06 21:31
入院中に心房細動が初めて記録..
at 2023-11-05 11:14
フレイル高齢心房細動患者では..
at 2023-08-30 22:39
左心耳閉鎖術に関するコンセン..
at 2023-06-10 07:29
患者ー医療者間の「心房細動体..
at 2023-04-26 07:27

検索

記事ランキング

最新のコメント

血栓の生成過程が理解でき..
by 河田 at 10:08
コメントありがとうござい..
by dobashinaika at 06:41
突然のコメント失礼致しま..
by シマダ at 21:13
小田倉先生、はじめまして..
by 出口 智基 at 17:11
ワーファリンについてのブ..
by さすけ at 23:46
いつもブログ拝見しており..
by さすらい at 16:25
いつもブログ拝見しており..
by さすらい at 16:25
取り上げていただきありが..
by 大塚俊哉 at 09:53
> 11さん ありがと..
by dobashinaika at 03:12
「とつぜんし」が・・・・..
by 11 at 07:29

以前の記事

2024年 03月
2024年 01月
2023年 12月
2023年 11月
2023年 08月
2023年 06月
2023年 04月
2023年 03月
2023年 02月
2023年 01月
2022年 12月
2022年 10月
2022年 09月
2022年 08月
2022年 06月
2022年 05月
2022年 04月
2022年 03月
2022年 02月
2022年 01月
2021年 09月
2021年 08月
2021年 07月
2021年 06月
2021年 05月
2021年 04月
2021年 03月
2021年 02月
2021年 01月
2020年 12月
2020年 11月
2020年 10月
2020年 09月
2020年 08月
2020年 07月
2020年 06月
2020年 05月
2020年 03月
2020年 02月
2020年 01月
2019年 12月
2019年 11月
2019年 10月
2019年 09月
2019年 08月
2019年 07月
2019年 06月
2019年 05月
2019年 04月
2019年 03月
2019年 02月
2019年 01月
2018年 12月
2018年 11月
2018年 10月
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 03月
2007年 03月
2006年 03月
2005年 08月
2005年 02月
2005年 01月

ブログジャンル

健康・医療
病気・闘病

画像一覧

ファン