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共病記(17):医療における「既知の知」「無知の知」「無知の無知」そして「既知の無知」

「2002年2月,当時のアメリカの国防長官だったドナルド・ラムズフェルトは,「知らないこと」と「知っていること」について,ちょっとばかりアマチュア哲学者を演じてみた。「知っている知っていること」,つまり,我々が知っているということを我々自身は知っていることがある。
「知らないということを知っていること」,つまりわれわれが知らないということをわれわれ自身が知っていることがある。
だがさらにもうひとつ,「知らないということを知らないこと」,つまりわれわれは知らないということをわれわれ自身が知らないことがある。」

私の大好きなスロヴェニアの哲学者,スラヴォイ・ジジェクは,最新作「事件!」でラムズフェルトの言葉を引き合いに出してわれわれの「知」について語っています。じつはこの逸話は以前のジジェクの著書に何回も登場する彼お気に入りの逸話なんですね。

当時,アメリカはイラク攻撃の最中で,ラムズフェルト長官の言葉はイラク攻撃を正当化するために(サダム・フセインの脅威がどんなものかを知らないでいたという事自体を知らなかったのだという意図)用いられたのですが,この言説はそのまま私たちが毎日行っている医療行為にもよく当てはまります。

「知っている知っていること」,これは「既知の知」ですね。私達がある程度自信を持って行っている医療行為の多くはこれでしょう。「降圧薬を使えば血圧が下がる」「細菌性肺炎には抗菌薬が効く」。。。我々の医療行為の多くが既知の知に基づいて行われています。

一方「知らないとうことを知っていること」,いわゆる「無知の知」ですね。無知の知は医療の経験を重ねれば重ねるほどに,気付き蓄積されます。「軽症糖尿病のひとのHbA1cをいくつまで下げればよいか」「85歳以上のひとの抗凝固薬はリスクをベネフィットが上回るのか」,こうした問ははっきりした解答がいまだにありません。こうした問いに答えてくれると期待される医学的装置のひとつにEBMがあります。ですが,EBMの世界に入りこむほどに,わからないことばかりであることがわかってしまうのはEBMerならずとも,誰もが経験するところです。実は総量としては既知の知よりも圧倒的にこれが多いのかもしれません。EBMに限らず,無知の知は科学の前向きベクトルの源とも言えます。

では「知らないとうことを知らないこと」とはなんでしょうか。「無知の無知」ともいえますが,たとえば手術時の抗凝固薬中止=ヘパリンブリッジについては確固たるエビデンスがなく,慣習的に行われているのが現状ですが,そうしたことに疑問を持たず一律に行われている場合などがあります。また個人レベルで言えば,たとえば「IgG4関連硬化性胆管炎」という疾患概念を知らないために精密検査の時期が遅れた等の場合が想定されます。無知の無知は総じて誤診とか,過剰治療に繋がりやすい側面があると思われます。

さて,ジジェクですが,じつはこの3つの「知,無知」の他にきわめて重要な第4項があリ,これを見逃したということはラムズフェルドが本物の哲学者ではないということだと,バッサリ言っています。

その第4項とは「知られていない知られていること」,つまり自分がそれを知っているということを自分は知らないこと,なのです。言ってみれば「既知の無知」

これ,とっさには思いつかないです。知っているということを知らないというのはなんだろうか。たとえば,私たちはかぜに抗菌薬が効かないということはいろいろなところで言われているので,「知って」います。しかしながら,典型的なかぜ症状でもマクロライド系抗菌薬などを処方する医師が多いと思われます。あるいは習慣性があると知っていてもエチゾラムをつい処方してしまうとか。。これ,厳密には「知っているけど実行できない=わかっちゃいるけどやめられない」と言ったほうが良いかもしれません。

ジジェクはこれを,フロイトの無意識のようなものであり,ラカンが「それ自身知らない知」と呼んだ幻想である,と言っています。。自分の行為や感情を決定するような,自分に付着していて気づかずにいるもの。。医療における無意識って何でしょうか。ポジティブな面を考えればたとえば,心不全の時のIII音の聴取の仕方とか,あるいは外科手技全般のベテランでしかできないような職人芸的スキルとか。。。要するに暗黙知ですね。なかなか言語化できない知恵のようなもの。

もっとネガティブな方に範囲を広げると,たとえば私たちがほとんど無意識に行っている医療,インフルエンザなら一律にタミフルを出すとか,ACE阻害薬より先にARBを出してしまうとか。。つまり,客観的に正しいかどうかは不明だが自分が正しいと思った医療を信じこんで行ってしまう医療行為がこの「既知の無知」に当たるかもしれません。厳密には「誤って知っている,あるいは不正確なまま知っているということを知らない」ということになるかと思います。

それからたとえば,患者さんが自分の意志で薬をやめてしまったり,あるいは勧めた薬を飲みたくないと言われた時に,無意識に自分の方針を強く押し付けてしまう,あるいはその患者さんに冷たくあたってしまうなど,パターナリズムの無意識的な降臨でも言いますか。実は,医師は無意識に患者さんを傷つけていたり,気になるようなことを不容易に言ってしまったりすることは多々あれど,自分では気がつかないということだと思われます。知っている(というか身についている)ことを知らないでしてしまう無意識的パターナリズムとでも言いますか。。

そして最後は「健康」そのものですね。健康になりたいと誰もが思うし,患者さんの健康をずっと維持したいとどの医師も考えます。自分が健康でいるとき,健康はもう当たり前の空気のような存在になって,その大切は知っていても普段は知らない,あるいは意識しないようにふるまっています。しかし一旦体に変調が出れば,人間だれでも「健康」であることの大切さを知るようになる。病気になってみないと「健康の大切さ」は知り得ない。そういう意味では「健康願望」は知ってるけど知らない,「既知の無知」かもしれません。もちろん,健康であっても常に健康を第一目的に意識しているからもおられますが。

ただ,私自身は,(医者がこういうのも語弊があるかもですが)「健康」(あるいは「健康を目指すこと」)というのは,それこそラカンのいう一種の「幻想」のようにも思います。以前の共病記でも書いたように,私自身は病んでいく,年老いていくごとに健康への距離感は変わっていくのだと思います。その時その時の自分の身体とどう自分が折り合いをつけるかしかないような,,

脱線しましたが,言葉遊びみたいなものとはいえ,ジジェクの第4項,「知っているということを知らない」ということがあるのだということをまず知り,そしてそうした無意識を意識するようにしていきたいものです。
ジジェクの「事件!哲学とは何か」はこちら
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$$$ もと天賞があった公園。もみじの石畳ができていました。
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by dobashinaika | 2015-11-23 01:03 | 医者が患者になった時 | Comments(0)

共病記〜医者が患者になった時(16)病気とは存在の意味の問いかけ

仙台七夕も最終日ですね。
実はちょうど1年前の8月8日、「医者が患者になった時」で綴りましたように、椎骨動脈解離+小脳梗塞を急性発症し、入院しました。
あれから1年たちましたが、今は皆様のおかげで、なんとか元気に生活しております。

ブログで散々書きましたが、病気になって数日は混沌の中におりました。その後だんだんと、なんでこの自分がこんな病気になったんだろうという「不条理」、明日はどうなるか実は誰にもわからないという「不確実」、誰も自分の今の苦しみを同じように実感することはできないという「不可能」、一挙手一投足ごとに感じる「不自由」に加え、それら全てを抱え込むことの「不安」という5つの「不」を痛感させられました。

今でこそ、目の前の小さな目的−手段連鎖に明け暮れる毎日ですが、病気というのは、そうした安穏とした日常に突如風穴を開けて、私達におのれの存在の意味を不意に問いかけてくるものなのです。

病気になってみて始めて、人間というのは、自分の中に苦しんでいる自分とそれを必死で言葉で説明しようとする自分がいて常にそれらがからみ合っている(=文字通り葛藤)ことに気がつくし、また自分は一人で生きているのではなく、家族、友人、仕事仲間、医療者等様々な関係性の中を生きているということも否応なく痛感させられるのです。

病気というのは、このように自己の中の関係性と、自己と他者の関係性の2つの関係性の存在とその意味を、私達に突如として、しかも極めてダイレクトに問いかけてくる脅威の存在です。

でも、1年経って、安穏で安定し小さな秩序にやきもきする日常を送っていると、そうした存在のクライシス(=危機)のような嵐を忘れてしまっていることに気が付きます。ちょうど震災の時の痛み苦しみが、徐々に薄れていくのと同じように。。

もちろんそうした危機はないに越したことはないわけですが、あのときに目の前につきつけられた、自分という存在の唯一無二性みたいなものと、そして人間が一人でいることの不可能性みたいなものを、1年たった今、もう一度反芻してみたいと思っているところです。

$$$ ことしの仙台七夕で一番斬新でカッコよかった飾り。誰のデザインだろう。
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by dobashinaika | 2015-08-08 22:47 | 医者が患者になった時 | Comments(0)

共病記〜医者が患者になった時(15)「死」のイメージ

今週水曜日ケアカフェ仙台に参加しました。テーマは「死んだらどうなる」

病気になるまでは死んだら「無になる」と思っていました。大方の医師がそうであるように。
しかし脳梗塞の最初の数日、めまい、吐き気、苦しみで身体全体がグチャグチャの混沌状態になっていた時、やや死に近づいていたように思います。そのときは身体全体が「苦しい」「つらい」のかたまりで「苦」「痛み」を軸とする純粋に単一の自己だったように思います。

そこには言葉とかロジックなど入り込む余地がない、自分の全存在が「痛み」「苦しみ」に支配され、一体化してしまっている感じ。確かに頭が痛くて苦しいのですが、苦しいのは頭だけでない。からだ全部と言ってもいい。どことはいえないー。以前使った言葉を用いれば、自己全体が「身体のじぶん」のみと化した状態と言っても良いかもしれません。

私の場合、幸いそこから改善に向かったわけですが、この時、だんだんに自分の身体の状態を言葉で言い表し分析する自分がほぐれて現れ、身体のじぶんと言葉の自分が対極化していきました。

以前にも述べたように「治る」というのは、この苦の混沌(=身体のじぶん)から言葉の自分が別れて自立していく過程とか関係性の変化のことだと思うのですが、一方そのまま自己が一塊のままで(ある種の恍惚感を持って)突き進んでいく状態が「死」なのではないかと思ったりします。「統一場としての自分」と言った感じ。

そしてこの自分は世界とも一体化するのではないか、その時が「死」なのではないか。バラモン教でいう梵我一如に近い感触。。
誰も死を見たことがない、経験してきたことがないので、何でも戯言を言えるのですが、最近は、それまで思いもしなかった「スピリチュアル」な「死」のイメージを抱くようになりました。

まーでもやっぱり、一方でそういったスピリチュアルも、脳内物質の相互作用で説明可能とまだどこかで思ったりスルのも、医者の性かもしれません。

死については、そして病気と死との違いについて、そこへの医療の関わり方について。次回はもう少し掘り下げていこうと思います。
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by dobashinaika | 2015-07-17 22:02 | 医者が患者になった時 | Comments(0)

共病記(13)〜医者が患者になった時〜:医療とは”患者のシステム1,2両者への働きかけ”である。

前回のつづきです。

キェルケゴールの人間に対する優れた洞察に唸ったわけですが、最近の脳科学を始めとする心の研究は、その洞察を裏付けるような展開になっているようです。

勁草書房から出ている「シリーズ心の新哲学」という心についての最先端の研究書を読んでいましたら、人間が物事を認知する場合、2つの処理システム(システム1,システム2)が存在し(二重プロセス理論、最近では三重とする説もあり)、それが最近では脳科学でも証明されていてそれぞれのシステムに対応する脳の解剖学的主座が解明されつつあるとのことです。認知心理学の定説だと思われますが、病気に対する認知にも当てはまるように思われます。

システム1というのは、ヒューリスティック(直感)に基づいて自動的に行われるもので、システム2は意識的に実行され、逐次的な分析処理を旨とするものとされています。今回私が感じた「身体のじぶん」と「言葉のじぶん」にある程度符合するように思います(やや違いますが)。

病気になると「痛い苦しいと感じるじぶん=システム1」が「それを説明しようとするじぶん=システム2」より肥大化しがちになります。

そこで、システム1,2という分け方にそって言うならば、医療者の役割とは以下の3つのプロセスからなるように思われます。、
1)患者がシステム1で感じる痛み苦しみに対して理解を示しそれを鎮める=苦痛の除去
2)患者のシステム2が自分の痛み苦しみ(システム1)をどのように捉えて、どう説明をつけているのかを理解する=解釈モデルの理解
3)医者が理解した患者のシステム2に基づいて、患者のシステム1の来歴行末について説明し、今後の行動選択肢を示し、両者で意思決定をする=意思決定

すなわち医療とはシステム1,2という言葉で単純に言ってしまえば、患者のシステム1を理解し鎮めると同時に患者のシステム2を調整する。そしてより良い意思決定へと導くということになろうかと思います。

生活習慣病の管理も同じですね。甘いものを食べたいというシステム1に理解を示し、しかしそれと同時に患者さんの「それでも将来怖い病気にならないようにしよう」と考えるシステム2がうまく稼働するようにシステム1を制御する言葉と方法を提示して行動変容を促す。ということです。この時患者さんのシステム1が今どのような状況にあるのか、および患者さんシステム2が自信のシステム1をどのように捉えているのか、ということを理解することが重要ですね。この作業がいわゆるナラティブの理解だと考えられます。そして、システム2が目先の欲望というシステム1をよく制御できるようにゴールを提示し、エビデンスを提示する、ここでEBMが導入されることになります。

病気というのは、すべからくシステム1とシステム2のせめぎあいのように思われます。そのどちらにもアプローチすることが医療者に求められているとも考えられます。

「新・心の哲学シリーズ」
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$$$ この話もそろそろ繰り返しになってきましたのでこの辺で一段落、、、というところで桜です。青葉城址の隅櫓前も満開でした。
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by dobashinaika | 2015-04-13 01:10 | 医者が患者になった時 | Comments(0)

心に残った一冊:キェルケゴール「死に至る病」

南山堂の医学雑誌「治療」4月号で「高齢者x心房細動」という特集の編集幹事をさせていただいたのですが、その最終ページの「おしまいのコーナー」で「心に残った一冊」を書く機会を与えていただきました。
ちょうど病気をした直後にご依頼いただいたので、その時一番自分の心象に近かった本について、自分の病気と絡めて書きました。
すでに共病記で書いたことですが、もしよろしければお読みください。

「死に至る病」 著:キェルケゴール,訳:斎藤信治

 昨年8 月にちょっと大きな病気をしました.リハビリ中に自分のなかの2 人の「じぶん」に気づきました.「痛い」と感じる「身体のじぶん」と,それを医学的な言葉で説明し,予測を立てようとする「言葉のじぶん」です.「身体のじぶん」をどうにか説明づけ,見通しを立てて平衡状態を保とうとする.病気とはこの2 人の関係性の変化であり,この2 人のギャップを埋めていく作業である,なんて退院後考えながらぼんやり本棚を眺めていたら,あれ? なんかこの感覚どっかで読んだ文章にあるぞと思い出しました.その本の冒頭部分「人間は精神である.精神とは何であるか? 精神とは自己である.自己とは何であるか? 自己とは自己自身に関係するところの関係である」高校の頃読んで全くわからずに放っておいた哲学史上有名なこの言葉の意味を,病気になってはじめて知ることになったのです.病気とは自分のなかの自分同士の関係性の変化なんですね,医療者はその関係性をうまく調節する役回りなのではないか.キェルケゴールがそんな風に問いかけているような気がしました.
小田倉弘典(土橋内科医院)

キェルケゴール「死に至る病」
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by dobashinaika | 2015-04-13 01:07 | 医者が患者になった時 | Comments(0)

共病記(12)〜医者が患者になった時〜:医療とは”リハビリテーション”である。

前回(2月12日)から、だいぶたってしまい、もう記憶も薄れかけてはいるのですが、昨年夏の病気(椎骨動脈解離+小脳梗塞)でどうしても、書いておきたいことがあったので、ようやくではありますが、重い筆(キーボード)を執ることにしました。

入院後ちょうど1週間で、点滴と尿道カテーテルが外れ、晴れて自由の?身になったのですが、その日の朝(8月15日)は、まだ到底立つことは無理だろうなと思っていました。かなりグラグラがなくなったとはいえ、まだまっすぐより左に首を向けると高速ランダムめまいが襲ってきました。ベッドを60度位までギャッジアップしてなんとか座っていられるようにはなりましたが、まだとても不安です。こんなので立てるわけないよナー、あと1週間はねたままかなーと思っていました。

ところが、午後になり、リハビリの先生(理学療法士)の病室訪問とともに、そうした懸念は見事に打ち砕かれました。
主治医に今日からリハだとは知らされてはいましたが、まず寝ながらの手足の運動などだろうと思っていたのです。

ところが、リハの先生は2、3回、臥位で足や手を他動的に動かしたあと、すぐに「ベッドの脇に座ってみましょう」とおっしゃたのです。
一瞬耳を疑ったわけですが、先生の目は確信に満ちた感じだったので、釣られるように、ゆっくりではありますが、ベッドの柵をささえに、まずベッドの上に座り、その後向きを90度変え、ベッドの縁におしりをおき、足を床におろしました。
これだけの一連の動作ですが、時に頭がグラつくものの、なんとかベッドの縁には座れるようになっていました。

これだけでも驚きでしたが、先生は、さらに「ではこのままちょっと立ってみましょうか」とおっしゃったのです。
やっぱりかなり冒険的な言葉ではありましたが、ベッドに自分の力で座れた今となっては、「あれ、できそうかも」という感じでした。
そしてやはりベッド柵を手をしっかり握り、ゆっくり足を伸ばしました。
すると。。想像以上に体が軽く感じられ、ふわっと体に羽が生えたような、いやなにか見えない力のようなもので背中が持ち上げられるような感じで、立てのです。もちろん頭はフラフラするし左に向くのは恐怖でしたが、それでもなんとか二本足でアームストロング船長のように?立つことができたのです。

この時の先生の確信に満ちた笑顔を忘れることはできません。そして単に自分が自分の力で、自分の足で立てたのだという、ただそれだけのことなのに、病気をする前だったら当たり前の単なる立つという動作なのに、自力で立てたことそのものに深く静かに感動しました。
ただ一人で立つという、健常者だったら当たり前のことそのことに無上の喜びを感じることができる。これがリハビリの力だと思います。

その後の2週間は、土日を除いて毎日1時間、病院一階の理学療法室に通いました。最初の1周間は看護師さんに車イスを押してもらい、最後の1週間は自力で車いすで行くようになりました。リハは、平行棒を使っての歩行、ベッドの上でのバランスボールなどから、後半は先生を伴っての歩行などでしたが、極めて順調に経過し、入院約3週間で、8月の最後に退院出来ました。

入院中、見舞ってくれた同級生の精神科医からすすめられてオリバー・サックスの「左足をとりもどすまで」という本を読みました。オリバー・サックスは有名な脳外科医ですが、山中で転落事故にあい、手術によって傷は癒えましたが、左足の麻痺及び知覚が全くなくなり、自分のものであるとは感じられなくなってしまいました。「患者」としての内面世界を垣間見るのに素晴らしい本ですが、その中で左足の感覚が戻ってくるときの感動的なシーンが綴られています。興味深いことに、左足が充電され生き返った感覚が訪れた時に聞こえてきたのが、それまであまり熱狂的なファンでもなかったメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲だったのです。

ほとんど同じような経験が、私にもありました。退院したとはいえ、外へ出かけるのはかなり困難と感じていた時期、仙台で毎年初秋に行われるジャズ・フェスにはちょっと行きたいと思っていて、1日だけ天候の良い時に出かけました。まだ立って音楽を長く聴くことはままならないので、座れる会場を選んでそれでも1時間位で帰ろうとしたその時です。初秋の心地よい風とともに、なんとも自然な感じの、空気に溶けこむような歌声が聞こえてきました。

西公園にある、人がたくさん集まる特別な会場でしたが、後ろのほうで当然立って聞かざるを得ない状況で、そのどこまでの伸びていくような歌声に釘付けとな、1時間近くめまいや足の震えを感じることなく、その歌手の歌を聞き入ってしまったのです。そのときは歌手の名前もよくわかりませんでしたが、あとでパンフを見たらBirdという女性ボーカルの方でした。普段、あまり聴くことのないジャンルだったにもかかわらず、何故か心の中にいつのまにか自然に入ってきて、しかも自分が1時間近くも立っていられたことに非常に驚きました。

思うに、人間が病気から回復するとき、もちろん徐々に快方へと向かうわけですが、もしかるすと一歩一歩良くなるというのでなくて、何かをきっかけにして急にジャンプアップするものなのだ、「回復」とはそういうものなのだと思ったのです。あるいは回復でなくても良いかもしれません。自転車の運転でも、浅田真央選手のトリプルアクセルでもかまいません。それまで到底できないと思うことができるという時、その福音はあるとき突然、それまでとは不連続な形式でもって、ジャンプアップの形で舞い降りてくるように思うのです。

そしてそのきっかけに何か音楽とか、外部の啓示みたいなものが後押しするのではないか、今回の経験でそんな風に思えました。

では、なぜ人間の体が回復するとき「突然に」良くなったとおもうのでしょうか? それは人間が病気から回復するとき、その回復の目安(指標)を「立てる」「支えなしで歩ける」「思うように仕事ができる」などのように「〜ができる」という「機能の回復」というものに設定しているからだと思うのです。

機能の回復という視点で見れば、「〜ができる」か「できない」かは二者択一になります。目に見える形での評価法が採用されているわけです。白黒がはっきりしていますので、そのことが「できた」ときには、突然出来たように思うわけです。実際は「できる」までには体の各機能が連続変数で上昇しているわけで、そのことはリハ中にも実感できるわけではありますが、でも「立てた」ということそのことは、それまでの立てなかった時とは何百倍かの飛躍感を持って心に残るのです。

私たちは「病気が治った」というとき、どういう身体の「機能」を念頭に置き、目的として設定しているのかによって病気からの「回復感」は大きく変わります。病気の前に100%戻ることなのか、ある程度のところで折り合いをつけるのか。軽度な機能低下なら良いのですが、障害が重いほど、病気前への完全な回復は難しくなります。特に「老い」がその原因の根底にある病気の場合100%の機能回復はできないことのほうが多いでしょう。このようなとき、そのゴールをどこに設定するのか、このへんでよしとするのか。100%の正常化を望むのではなく、その都度その都度の状態をその時点での「最適なもの」として受け入れられるのか、否か。この葛藤が「病気を生きる」ということかもしれません。

結局のところ病気と向き合うということは、その都度の状態をいかに最適なものとして「感じ」「受け止められるか」ということにかかってきます。病気が「治る」ということ、あるいは病気からの回復とは「正常化」ではなく「最適化」です。

前回の「2人の自分」に即して言えば、痛み苦しみをかんじている「身体のじぶん」の変化を「言葉のじぶん」がどのあたりでよしとして受け入れられるか。めまいがひどいけれども、このくらいのことができればそれでいいと思う「このくらい」のレベルを、「言葉のじぶん」がどの辺りに設定し了解するか。

医療の役割とは、そのゴールをなるべく病気の前の状態に近づくように高めることがひとつですが、もうひとつ、低めのゴールであっても、それがその時点での最適なものとして受け入れらるような環境を患者さんの周囲に作ることも、また大きな役割のように思います。

リハビリテーションの語源を見てみましょう。ラテン語でre(再び) - habiris(適した)。つまり再び「適した」状態になることを意味しています。そうです。医療とは広い意味でリハビリテーションそのものなのです。


$$$ 昨日の桜、今朝はここまで開花しました。そして夕方にはもっと花開いていました。桜の開花というのも、不意に突然開いてそのあと急速に、、という感じのように思えますね。
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by dobashinaika | 2015-04-07 00:28 | 医者が患者になった時 | Comments(0)

共病記(11)〜医者が患者になった時〜:医療に(究極の)役割があるとすれば

3回めのMRIで、どうやら血管の解離の進行は止まったようだと主治医の先生から告げられました。それを聞いて、もちろんとても安心したし、5つの「不」のうちの最後の「不」である、「不安」のかなりの部分が暗雲が晴れるように収束して行くのを感じました。それと同時にそれまでの例のめまいや後頭部のもっさり感もちょっとだけでも軽くなったように感じたのです。

これは、もちろん5つの「不」のうちの「不確実」が、「もう山場は乗り切りました」と先生に言われたことで大幅に軽減されたのが直接の原因だったに違いはありません。「言葉のじぶん」が医師の言葉を通じて医学的に未来の不幸な事態の可能性が小さくなったことを理解したからです。「知」のちからが「言葉のじぶん」に作用したのです。

でも、やっぱリそれでも未来というのは、特にまだこの段階では自分の脳の状態がどう転ぶかは疑い始めればきりがないというのも事実でしょう。疑い始めれば解消することはできない、これが不確実性であり、未来というものの本質です。なのになぜ、主治医の言葉で痛い苦しいの症状まで緩和されるのでしょうか?それは、ありきたりな表現かもしれませんが、私が先生を「信じていた」からにほかなりません。それはそれまでの先生との診察、対話、先生の物腰や知識と経験、そうした総体としての存在自体への信頼であり、先生と私との関係性への信頼ということができます。

「言葉のじぶん」が知識で理解するのに対し、医師への信頼は「身体のじぶん」が、より混沌とし瀑とした「身体」が、言葉でと言うより身体それ自身で納得し信頼するという感じです。同じことは医療従事者あるいは医療という行為全般にも当てはめることができます。

MRIの結果を聞いてからは、それまでは後頭部からお腹までにかけて言葉に出来ないようなもっさり感だったのが、この時あたりから、「いつもはいろいろ場所は動くけれどもいちおう頭に限定した痛みがある」「それとは別に体を動かすとふわふわ浮くような感覚がある」というように、自分の症状を時間や体の部位によって区別できるようになってきたのです。

痛い、苦しい、それを言葉にすることが困難だった「身体のじぶん」を、「言葉のじぶん」が分析し、整理し、区分けできるようになってきた。まさにこの「区分け」するということが病気の回復ということなのかもしれないということを実感しました。

そしてこの「区分け」のときにこそ、医療者を始めとする周りの人々、いわゆる他者の果たす役割の大きいことに気付かされました。たとえば、頭痛のために氷枕を使っていたのですが、それでも痛くて顔をしかめていた時、朝、点滴交換にみえた看護師さんがアイスノンを鉢巻きのようにビニールに巻いて持ってきてくれました。また、看護師さんにしばらく清拭をしていただいたのですが、その時の声がけや、体の動かし方など、経験豊富とは思いますが、それにしても本当に私の痛み苦しみをこれ以上悪くしないような気遣いで、拭いたり、体を横に向けたりしてくれるのです。

5つの「不」うち、自分の痛み苦しみは絶対分かり合うことはできない、つまり「不可能」ということを厳然と自覚しましたし、そしてそれは今でも感じます。自分の苦しみ、病の体験は誰とも共有できない唯一無二のものであるのだということを。

でも、この「不可能」は「不可能」のままで終わるのかというとそうではないのですね。痛い苦しいとかんじている「身体のじぶん」のその痛み苦しみそのものは誰もわかることはできません。痛みは自分にしかわからない、他人が同情することはできない。それはそうなのです。でも、しかし、「身体のじぶん」が痛いのだということを「言葉のじぶん」がどう痛いのか、どう感じているのか、どう不安なのかを意味づけしている。その仕方そのものを他者がわかることで病者は不安から幾許かも解消されると思うのです。痛みや苦しみは、それ自体理解不可能なものであると同時に、それでも他者と共感するルートを持っているいわば両義的なものとしてあるように思われます。

もうすこしくだいて言うと、「苦しみ」それ自体をわかることは他者には不可能だけれど、「苦しい」とその人がかんじているという、その事自体ならわかることができる。そして「苦しい」と感じていることを、医療者を始めとする他者が「わかっているということ」を病者が「わかる」ことで、病者は不安から少しでも解放される。言ってみれば、「身体のじぶん」を「言葉の自分」が区分けしている(使い古された言葉で言えば物語化ですね)、その区分けに承認を与えることが安心につながる一縷の糸のようなものだということができます。

そしてこうした承認を病者は、言葉よりもそれこそ点滴を取り替えるときとか、清拭の時とかといった診療時間の隙間みたいなふとしたときに感じるように思います。「さああなたの苦しみを傾聴しますよ」みたいにされるとかえってダメなのかもしれません。場合によっては、思っていてくれる存在がそばにいてくれる、それだけでもいくばくかの救いなのです。

このように、患者が、苦しい自分が承認されていると感じるようになることは、知識や言葉だけではなく、「身体のじぶん」と、そして「身体のじぶん」と「言葉のじぶん」の関係性にアプローチすることではじめて伝わるものです。患者と医療者の接する場面場面の会話や何気ない所作、医療行為からリハビリ、食事、排泄、清拭までにいたるその医療施設のシステムや資源全体への信頼が、このアプローチを実りあるものにする気がします。

不確実なる未来に少しでも確実な「知」を示し「言葉のじぶん」にアプローチすること、それと同時に苦しみそのものはわからないけれども苦しんでいるということ自体に共感すること(「身体の自分」と「言葉のじぶん」の関係性にアプローチすること)。医療の役割は(究極とは言わないまでも)、突き詰めていけばこの2つの側面にまとめられるかもしれません。

3年前のNHKの朝ドラ「梅ちゃん先生」で医師役の世良公則が言った言葉、「医者っていうのはね、そこにいるだけでいいんだ」。このときはさらっと聞き流したのですが、今になって改めて違った深みを持って迫ってくるのです。ただそう考えていくと、頭とか言葉とかスキルとか、そんなのでなく「存在」の問題となってきて、もっと辛いわけではありますが。。。。

最後に、患者の体験にはこのようにいわゆる言語化したり物語化したリできないものがあるようにも思います。あるいはそうした物語化をはじめからしない、できない、したくない患者さんも存在します。その辺のことを考えるといよいよ医療の核心に迫っていくことになりますが(そうでもないか)、それにはもう少し時間を頂戴したいと思います。

$$$ここは兼六園、ではなくて、もと酒造会社にあった庭園です。池に氷が張っていました。
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by dobashinaika | 2015-02-12 00:27 | 医者が患者になった時 | Comments(0)

共病記(10)〜医者が患者になった時〜:若手医師に教えられたこと

今回の入院では、1ヶ月半近くに渡り診療を休んだことになります。その間は、幸いにも出身大学の教室から若手の先生の代診をお願いすることが出来ました。診療の穴をほとんど開けずにすんだことには、出身教室にどんなに感謝してもしきれません。しかし感謝しなければならないのは診療だけではありませんでした。

今現在、患者さんを診るとき、入院中に若い先生方の書かれたカルテを当然見返すわけですが、非常に多くの発見があります。もちろん当院での診療は初めての医師ばかりですので、戸惑いのあとや慣れない感じは言葉のはしから汲み取れはしますが、お世辞ではなくどの医師もSOAPをベースに大変詳しく的確にカルテを記載しているのです。当院はカルテ記載も全部キーボード入力ですが、若い医師ですのでお手のものとはいえ、私の書く分量より明らかに多くの内容が短時間で記載されています。また、診断推論、検査適応なども私の目から見て、的確だなあと思う記載が多いのです。

何より、患者さんの声やスタッフの反応がとても良好でした。もちろん、先輩医師の医院の応援ですので気を使っていたとは思いますが、それにしても今どきの若手の医師は、もちろん多様ではあろうかと思いますが、臨床能力、接遇態度に私たちベテランが見習うべきものを多く持っているように思います。改めて、自分の出身教室(循環器内科)を誇らしく、また大変頼もしく感じました。

今さら言うべきことでもありませんが医学教育は、私たちの時代と比べてだいぶ系統的になっています。CBTはあるOCSEはあるし、また卒後は、教授や(医療機関に依りはしますが)多くの他の医師からピアレビューを常に受ける環境にあります。

翻って、診療所診療の場合、現在多くのいわゆる「開業医医師」は当院も含めて一人診療=ソロプラクティスです。そこに系統的教育システムがない、ピアレビューのシステムがない、この2点は非常に大きな問題であると今更ながら再認識させてもらった、これが今回若手の先生に診療を応援して頂いて一番感謝したいポイントです。

自分としては、学習することは好きなほうで、毎朝、前日に受診した患者さんのカルテを通覧して疑問に思ったことを医学系サイトや文献で調べEvernoteに貼っつけるという作業をここ数年つづけているのと、夜寝る前にひとつの文献を読んでブログにアップしたりはしています。

しかしいずれも一人で行う孤独な作業なんですね。それを検証したり、批判したりするシステムは持ちあわせません。
現在、特に診療所医師の生涯教育という視点で顧みた場合、多くの開業医は同様の状況下に置かれているものと思われます。医学部を卒業して後期研修を終えるまでの数年は非常に系統的組織的な学習ができていたのが、40代、50代で開業した後の2〜30年に渡る非常に長い期間の生涯学習は、そのように行われているとは言いがたい、というのが現状かと思われます。本来は最も系統的継続的なカリキュラムを考えなければならない年代なのに。。

自己流で学習し、新しい知識は製薬企業等の関わる講演会などから取り入れる・・・もちろん主体的に多人数で学習している医師も多くおられるとは思いますが、こういう状況が多少ならずあるように思います。

PBL (Problem Based Learning=問題解決型学習)という方法論があります。言うまでもなく少人数で患者さんの持つ課題に立脚して自ら学習を進めていく方式です。すでに多くの医学教育に取り入れられていますが、将来的に開業医もPBLをベースにした生涯学習ができないものかと思うのです。例えば、私のクリニックの1日の診療の中でも、シンプルな問題の患者さんもおられますが、ご家族、仕事その他の面も含め非常にコンプレックスな問題を抱えた方も多数来られます。開業医の外来はコンプレックスケースの宝の山と言っても過言ではありません。そうしたケースを一人でしまっておかないで開業医仲間で共有できないものだろうか、と開業当初から考えていました。
そのためにメーリングリストなども作ったり、各種勉強会も行ってきましたが、これまでの講演会形式などで果たして良いのだろうかという危機感が、今回の若手の先生とコラボしたことによって急速に芽生えてきました。

モチベーションを共有できる仲間と、それからチュートリアルが必要ですが、色々画策していきたいと思っています。こういう画策は楽しいですね。

$$$今日の散歩道から
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by dobashinaika | 2015-01-25 22:18 | 医者が患者になった時 | Comments(0)

共病記(9)〜医者が患者になった時〜:5つの不 その⑤「不安」と2人のじぶん

急に病気になった時、とくに痛みなどの症状が強いときは、自分の体はその全部が痛みに置き換わったような、痛み=身体のような感じに支配されます。わたしの場合は後頭部痛と高速ランダムめまい感に加えて、前にも書いているように後頭部からお腹にまでかけての得も言われぬもっさり感が、少しの寝返りでもつきまといました。入院から4日は、もう何もかもが余裕がなくて、ひたすらからだ全体が「頭痛とめまいのする身体」、「もっさりした身体」の塊となって、まんじりともせず過ごしたように思います。

入院5日目、あすが3回めのMRIの日という夜になって、はっきりあることに気が付きました。それは頭痛、めまいする自分、もっさり感のある病気をしている自分と、その自分に対し、脳の動脈の状態は今どんな感じで、この先どうなってしまうのか、またこのままでいると自分の仕事場や受診する患者さんはどうなってしまうのだろうかと、あれこれと言葉で考えている自分の2人の自分が存在するということです。

その前の日までは、あれこれ考えはしますが、とにかく経験したことのない症状と、経験したことのない環境の変化とで自分の中身まで考える余裕は全くありませんでした。全身が身体、それも病める身体そのものとなったような感覚でした。しかしやや症状が軽くなり、また次の日の検査結果によっては手術になるか、あるいは手術もできないような命に関わる難しい局面を迎えるかが決まるという段になってはじめて、痛い、苦しいと感じている自分と、その状況を言葉でもって分析し、周りとの関係を考える自分とがいるということをはっきり意識しました。

名付けるなら、前者は自分の体そのもの、他が取って代わることのできない感覚全体であり「身体のじぶん」とでも言えるかと思います。一方後者はそうした自分を医学的、社会的に認識し分析する自分。それら一切は言葉でおこなうわけですので「言葉のじぶん」です。発症当初は強い症状と激しい環境の変化から全存在が「身体のじぶん」しかなかったのが、数日して「身体のじぶん」から「言葉のじぶん」がわかれて、はっきり存在感を主張するようになったのです。もっとイメージ的に言うと、2つの自分が並列してあるわけではなく、苦しむ身体のじぶんは常に脳の底の方(あるいは後頭部からお腹付近)に横たわっていて、その上で言葉のじぶんがあちこち右往左往しているといった感じです。

身体の自分について、一人で考えていると非常にキツイ状況になります。前に述べましたように、「高速ランダムめまい」や「もっさり感」は自分でもこれまで経験したことのない言葉に表せない感じでしたので、到底この微妙な感じ=いわゆるクオリアを正確に言い表すことも伝えることも不可能に思えます。この感覚は唯一無二だと思うほど、孤独で絶望的となります。

そして何より明日のMRIしだいでは、手術かまたは最終的に死に直面する自体になるかもしれない、、、と主治医の先生から言われていましたが、それに対して確たる予測も制御もできない。医師のくせにこの時点で明日の各運命候補の大雑把な確率や治療法すら述べることができない。この不確実性に恐れおののきます。極端に言うと明日死の宣告を受けるかもしれないのに、それに対して何一つ予測対策が立てられない。

この身体のじぶんの「よるべなさ」といいますか、決してわからないだろうという絶望感と、明日のことは全く予測できないし、制御することもできないという感覚。そこから導き出されるものはひとつしかありません。そう。「不安」です。これが第5の、そして最後の「不」です。

そうなんですね。人間にとって自分という存在が一番不安の源なんですね。自分の感じていることは人にはわからない。予測できない、コントロールできない。自分のことなのに、自分自身に翻弄されてしまう。もっともこれは病気にかぎらず、日々の生活の中でも、自分という存在は根本的に孤独であり、予測制御不可能なものが自分なのだということだと哲学的には考えられるのですが、病気になるとそれが実感を持って感じられるということかと思います。

ただ、私自身はもちろん不安でしたが、一方でかなり楽観的というか、それももう清水の舞台から飛び降りるかのような悲壮を背にした開き直った楽観ではなくて、淡々とした楽観みたいなものがありました。ひとつは、やはりネットの医学サイトなどで「椎骨動脈解離の予後は比較的良好」という記載が多いことを知っていたからかもしれません。

一方で、医者としてこれまでいろいろな患者さんを診てきていましたが、患者さんで思い出すのはやはりたとえばワーファリンを飲み忘れて大きな脳梗塞を起こし寝たきりになったひととか、亡くなった人のことばかりなんです。しかし医者の考え方の癖なのかもしれませんが、身体のじぶんに対しても割と客観的でいられるというか、まあそれはミゼラブルな結果になるのは怖いわけですが、たとえ自分の場合であってもそうした悪い結果も医学的にはありうるだろうなというふうに冷静に考える自分もいるわけです。

13年前、ほとんど予兆のなかった父親に急にすい臓がんがCTで見つかって、もうその翌日に余命半年だろうと主治医に言われたのを思い出したのですが、このときも本当ならそれまで元気だった肉親についてある日突然重篤な知らせを受けましたので、取り乱したり悲しんだりするはずですが(もちろんそうもしましたが)、それとは別に、病態生理やらエビデンスやらそれからこれまでの経験などにあれこれ頭を廻らせては、そういうこともあるだろうな、こうすれば少しはいいかなというように「医学的に冷めた自分」がいたのです。今回自分自身のことではあってもやはりそうした医学的に冷めた自分のおかげで、何があっても平気とは言わないまでも、まあどういうケースも有り得るだろうなと冷めて考える時間はありました。

もうひとつ、やはりですね、「自分はなんとなく、悪いようにはならないよ」みたいな、全く根拠のないバイアスがあったように思います。ネットには予後良好という記載のほか、脳動脈瘤の破裂から死に至ったケースや、脳幹に解離が及んで重篤となったケースレポートも幾つもあったのですが、自分はそうはならないだろうという、よく言われる正常性バイアスがどこかにありました。正常性バイアスは、災害などでは逃げ遅れの原因になるため問題ですが、深刻な病気で今後予測困難な状況にある人に対しは、ある種の福音として働くのかもしれません。

こうして不安と冷めた感覚、正常性バイアスなどがない混ぜになった形で3回めのMRIを迎えましたが、結果、悪化はなく、当面手術や死のリスクは少なくなったことを先生から聞かされた時には、試験の結果を待つような心境でしたが、やはりほっとしました。

長々と書きましたが、今回の病気を通じて一番大きな発見が、自分の中に「身体のじぶん」と「言葉の自分」の2つの自分があるのだということでした。そして両者はつかず離れずの距離を保ちながらその関係性が徐々に変貌を遂げていくということを経験しました。

病気というのはつまりこういうことです。「身体のじぶん」と「言葉のじぶん」の2つの自分、およびその関係性が物理的肉体的(あるいは精神的)に障害をきたしまた回復することによって変化変貌していく。その変化そのもの、そしてその変化を「言葉のじぶん」がどのように受け入れていくのか、その受入の仕方そのものが病気というものなのだ、と。
現時点での私の「病気」の定義です。

免疫学者の多田富雄先生は、周知のように脳梗塞にたおれられましたが、先生が右片麻痺を発症しながらリハをした時のことを、岸本葉子さんが「生と死をめぐる断層」の中で紹介されています。多田先生曰く「私の中に、なにか不思議な生き物が生まれつつあることに気づいたのは、いつ頃からだろうか」「私はこの新しく生まれてきたものに賭けることにした。自分の体は回復しないが、巨人は今形のあるものになりつつある」(多田富雄「寡黙なる巨人」)。

やはり病に伏せるというのは、単なる機能低下、機能廃絶ではなくて、自分の中の自分同士の関係性の変化であることを多田先生の言葉からも読み取れます。

私、哲学が好きで、わからないなりにはっとする言葉を求めて哲学書を読んだりしますが、前々からキルケゴールの「死に至る病」冒頭の有名な人間の定義について、まあそうかなあくらいで読み飛ばしていました。今回この病気を経て、その言わんとすることがようやくそれこそ自分の身体に染み入るようになりました。それは、
「人間は精神である。精神とは何であるか? 精神とは自己である。自己とは何であるか?自己とは自己自身に関係する所の関係である。すなわち、関係ということには関係が自己自身に関係するものなることが含まれている──それで自己とは単なる関係でなしに、関係が自己自身に関係するというそのことである。」
という一節です。これまでは「何のこっちゃ」という感じでしたが、今読むとこれまで述べてきたことのすべてを言い表していて、改めてなにかおそろしいまでの洞察力を感じました。

「身体のじぶん」と「言葉のじぶん」。医療はこの両者と、両者の関係性とに深く関わっていくわけです。
ということで共病記の”哲学シリーズ”を終わりまして、次回からはもっと身近な入院生活のあれこれを書こうと思っています。

$$$ 今日は寝坊したので散歩さぼってしまいました。写真は医院近くの隠れ家的お店の「紅心だいこん入りピザ」ここかなり美味しいお店です。場所は秘密^^
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by dobashinaika | 2015-01-12 01:25 | 医者が患者になった時 | Comments(0)

共病記(8)〜医者が患者になった時〜:5つの不 その④不自由

椎骨動脈の解離が判明してからは、次のMRアンギオで病状の安定が確認できるまで、ベッド上安静となりました。と言うよりそうならざるを得ませんでした。まず、例の高速ランダムめまいのおかげで、頭を1センチも上げることすらできず、また視野の真ん中より左側に首を向けることすらできなくなりました。起き上がることも、寝返りすることもできません。また少しの体の動きでも、動き具合によっては吐き気が襲ってきて、ときに実際に嘔吐する、吐く物がないので激しく嗚咽を数回する、という苦行を強いられました。

この吐き気のおかげで、食べ物のにおいが受付られなくなり、まる5日間絶食を余儀なくされました。水分は点滴と、吸飲みで水をすする程度です。一応テレビが使えましたが、若干首を起こす必要があり、何よりニュースも含めて世の中の出来事、動き自体についていくことが億劫になり、というかついていくのにも疲れてしまうため、テレビも見ませんでした。

唯一、iPadが友達でしたが、これとて検索語ひとつを入れるのにも労力が必要で、休み休み数分、医療系サイトを眺めては20分30分休む、というようなことを繰り返しました。

もちろんですがお風呂など到底入れません。看護師さんに体をタオルで清拭してもらうのです。夏でしたが、熱いくらいになったタオルで手指からつま先に至るまで丹念に拭いてもらいました。受け身の側になってはじめてわかったのですが(お恥ずかしい限り)、清拭にもきちんとした規則性があって、上下肢は手足の先から中枢に向かって、胸部は肋骨にそって、腹部は腸の方向に沿い、わきの方は縦に拭くのです。看護師さんは、それはもう文字通り「手慣れた」所作で持って、瞬くうちに全身を拭きあげてしまうのです。この所作にも感心しました。入院して数日ぶりに体を拭いていただいた時には、めまいと闘いながらも一皮むけた気分になりました。

しかし、なんといってもベッド上安静の身にとっての最大の難問がありました。前にも書いたように、言うまでもなく「排泄」です。入院後3日までは尿瓶で排尿は苦もなく出来ていました。ところが椎骨動脈が解離していると主治医の先生から告げられたその日から、体をどの方向に傾けても尿が膀胱から出てくれなくなったのです。先生からは多少の力みは許可されていましたし、これまではそれほど力まなくても自然に流出されたのです。ところが同じ腹圧をかけているつもりでも、尿道の下の方で停滞している感じで外に出てくれません。

こうなると大問題です。尿意が非常に脅威となります。一度ほんとに少しの量を2〜3回に分けて出したのですが、それ以来できなくなり、尿意が怖いため水分をとることも怖くなりました。でも点滴をしていますので、否応なしに膀胱は充満てます。これはいかんともしがたい事態になりました。ようやくその日の夕方、看護師さんが回診に来た時、意を決して「尿道カテーテルをお願いします」と申し出ました。

ほどなくして、神経内科の若い先生がいらして、難なく手技は終わりました。とは言え人生初めての挿入です。カテーテルが前立腺を通過するときの、違和感の二乗三乗くらいの字義通りの「違和感」。普段私たちが、外界のものに接触するときは、ほぼ大半が皮膚を通してです。帽子をかぶる、メガネを掛ける、服を着る、手袋をはめる、キーボードをうつ、パンツを履く、靴をはく、体をどこかにぶつける。。。そうした日常何気ない「接触」はほぼ皮膚がファーストコンタクトを受け持ちます。「粘膜」を介した接触などほとんどありません。

一方、病院の中で起こるからだとものとの接触にしめる「粘膜」の割合は多大です。歯の治療では歯肉、舌には舌圧子、耳鼻科では鼻や喉にふんだんに細い管を入れられます。採血では注射針が血管内皮に接触。胃カメラ、大腸カメラは言うまでもない。そんな中でも尿道は一番馴染みのない粘膜面かもしれません。本来接触する予定のない管腔臓器の内膜面に物体が触る動く。。こうした感覚は、近代医学が発達するまで私たち人類が経験したことのないものであって、もともと人間の触覚にプログラミングされていない、またはされてはいるがそんなに使うことを想定されていないためバックアップの効かない脆弱なものなのである、こんな感触は人類史のほんの数十年の間に強いられたという意味で、まさに「違和感」であるのだなあ。

などと悠長に人類史を概観している暇はありません。カテーテルが入ると尿意の脅威は消えたものの、今度は、尿道バルーンを入れられた人誰もが言う「いつも尿がしたい感じ」がやって来ました。なんとなく常に尿意を少しずつ感じ、特に体を動かすともぞもぞする。これまた別の「違和感」です。右側臥位を決め込んでまんじりともしないでいれば感じませんが、長い時間そうしているわけにも行きません。

さらに、もっと大変なことが待っていました。はい、排便ですね。え〜これは、、、とまた難行苦行の連続を書くことになりますが、食事しながら読む方もおられることも考え省略します(笑)。主治医からは下剤(マグラックス330mg朝晩2回)をすぐに処方されていましたが、入院後6日で初めてスッキリした時の爽快感は忘れられないものだったとだけ書いておきます。

初めての体験、つまり医療の受け手側としての体験の連続の中で感じたこと、それは人間というのはひととしてできる仕事とか生活を取り去られてしまったら、あとはただ、目が覚めて、食べて飲んで、出して、寝るだけの存在でしかないのだなあということです。その上に、病というものはその食べることも、出すことも、動くことも、起き上がることも、人間から奪っていく。人間としての基本的な自由までも奪っていく。

不自由。発症急性期の数日、命の根本で感じたのは、じつは不条理不確実不可能よりもまず先に「不自由」でした。これが4つ目の「不」です。

病気だから当たり前ですが、仕事ができない、家で風呂あがりのビール一杯なんてのも当然できないという社会生活、日常生活のレベルは言うまでもなく、摂食、排泄、清潔といった日常生活動作=ADLが奪われることの不自由。医療の出発点はまずもって、病が奪ってしまう人間としての根源的な不自由にアプローチすることなのだなあ、と医療に携わって25年になるのに、受け手側になってみて初めてしみじみ「実感」しました。

でも、この不自由さも、病気の回復とともにだんだんに変化します。たとえば、左は向けず右を下にするしかなく、それでももっさり感がして絶望していたのですが、その後数ミリ単位で頭の位置や体の位置を動かしてみると、この角度なら一応めまいももっさり感も少なくて、かろうじて落ち着くという体勢を発見することができたのです。また尿道カテーテルの違和感も、だんだんに慣れてくるというのもありますが、この角度のこの姿勢を取らなければ変な違和感は来ないというポイントを見つけることができるのです。

当初感じる病に陥っての不自由さは、不条理で不確実で乗り越えることは不可能に思えることでも、何らかの形へ、このように試行錯誤のすえ「最適化」されていくものなのだろう。だんだんそう考えるようになり、現にできるようになる事自体が治癒というものかもしれないなあ。などと考えるようになりました。

この最適化に医療者がどう関われるか、このことについての考えが、今回受け手になってみてこれまでと大幅に変わったことですね。それについてはまた後日。

$$$ 大学病院前のどら焼き。お餅やバター、お芋などが入っていて超人気です。午前中で売り切れるそうです。このお店のビルができる前は、卓球部の練習の後必ず行った居酒屋があったのですねえ。なつかしい。
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by dobashinaika | 2014-12-23 23:30 | 医者が患者になった時 | Comments(0)


土橋内科医院の院長ブログです。心房細動やプライマリ・ケアに関連する医学論文の紹介もしくは知識整理を主な目的とします。時々日頃思うこともつぶやきます。


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